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現世利益

下のリンクは、「常に幸いにして」という有名なイコンのものなのだが、その写真の前に棒があって何かぶら下がっているのが見えるかもしれない。

http://www.ilioupoligiaolous.gr/article.php?id=15439

ひょっとしてこれらはいわゆる「願掛け」かもしれない。この形状が手や足の形をしたものの写真があったのです。マリアさん、お願いします、私の手をなおしてください、というわけですよね。(ちなみにいま「常に幸いにして」はアッティカ半島の端っこのビロナにあるんでしょうか。この記事だとそうみたいですね。知りませんでした。)

 

自分がわかいころ、こうした写真を見た神父さんのひとりが「これは現世利益だ、けしからん」みたいなことを仰った。おいおい、お前さん正教に属してるんだろ。2000年やってる連中が超有名なイコンを前にやってるのに、誰に向かって口をきいているんだ?

しかし、そういう風潮は、正教に限らず日本でキリスト教を学んだ人には良くあることらしい。キリスト教は天国での利益を求めるもので、現世のご利益は求めてはいけない、というわけですね。

 

確かに、安易に「西の方角に黄色いものをおいたら大金持ちになれる」的な、いわば欲望を満たすためだけの現世利益に警鐘を鳴らすのはわかる。本質において、たとえ手が一本なかったとしても、罪が許されて、天での幸福が約束されたほうがいいのだ、ということは理屈としてはその通りだ。

 

しかし、一方でキリストは、現世利益のオンパレードだった。頭でっかちの連中が聖書ばっかり呼んで屁理屈をこねていると「お前たちは聖書の中ばかり探しているけど、なんで俺のところに来ないんだ?」と言った。
そしてキリストのところに来ると「治してあげよう、清くなれ」ってんで、さっさと病人を治してくれるわけだ。
さらに、マルコの福音書には「信じる者には次のしるしが伴う・・・病人に触れると癒される」と書いてある。信じる人が病人に触れると治るというのに「手が治るのは現世利益だからダメだ」というのはどこかひねくれてるんじゃないか?

「意地悪言ってねえで、なおしてやんなよ・・・ははぁ、お前さん、なんかカッコいいこと言ってるけど、実際には信じてもいないし治しもできねえんだな?」

ということになりはしないか?

さらに主の祈りで「爾(父)の旨は天に行わるるが如く、地にも行われん」というわけだから、地上でも神様の光栄が現れて何も問題ないのではないか?

 

今になって、教会の皆さんが何を言っていたのか、わかるような気がすることがたくさんある。自分が教わった神父は「お金をくださいというお祈りがあってもいいんだよ」と熱弁していたが、自分はそれを聞いていてその仰ってる意図がわからなかった。要するに「それはダメだ」と言ってる人が多いということ、そういう風潮があるということなのだ。
また、ギリシャで修道院長さんが「日本ではプロテスタント神学みたいなのしかないのがダメだと感じているんですね。」みたいなことを仰っていた。日本で教会の前提になっているものが何なのか、私自身は理解していなかった。

自分はカトリックやプロテスタントということをあまり考えなかった。そもそもキリスト教に興味を持ったのは正教に対してであって、まっすぐ「あっ、古い方がいいんだろうな。ということはギリシャがいいのだろう。」と思ってきた。日本で正教に来る人も、結局はプロテスタントの学校に行ったりカトリックから来たりする。その前提で「正教はこれがいい」と思ってくるわけで、そうすると、プロテスタントの時の考え方が染みついていて、司祭になっても「正教はこれでダメだ」みたいなことを仰ることになるわけだ。

 

要するに「天」というものが絵空事であってはダメだということなのだと思う。
何らかのリアリティがなくちゃダメだ。
実証できることは実証する。天に宝を積んだ人は、それなりに時々は「通帳」を開くことができて「おっ、これぐらい貯まったぞ」ということがないといけないと思うんです。
そこに評価を期待してはいけない。それはその通りです。そこは欲得ずくの世界ではないし、その行動は聖霊が支配する。それはそれでいいんですよ。
しかし、その「天」に何のリアリティもないから、「現世利益はダメだ」ということになってしまうのだと思う。

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