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「占い」という区分の不思議

去年からフェアみたいなところに自ら赴いてみて、いろいろな「占い師さん」のお姿を見た。

多くの人々が複数の技術、複数の切り口をもってやってきていた。それぞれの世界でエキスパートだということであれば、それでいいだろう。だがどうも自分は違和感を感じるところはある。

 

人々の多くは「占い」とか「スピリチュアル」とか何とかという切り口でこの世界に入ってきて、「じゃ、タロットと占星術をやろう」みたいな考えの中での「占星術」なのです。

だけど、霊感とタロットと占星術は、多分全く違う技術だと思う。占星術で前提されるものはタロットや霊感とは違う。そこに多くの困難が伴う。たとえば今はコンピュータが助けになってくれるが、複雑な星の位置の計算と言ったものがある。だからこそ、占星術の対面鑑定はほかのいわゆる「占い」に比べてはるかに難しい。手相なら「生命線が伸びてるでしょ?」と言えば終わりの事柄を、ホロスコープや星の動きをわかりやすく提示しなければならない。それを全部提示しようなどと考えれば用意だけで何日もかかってしまうかもしれない。短い時間でさっさと用意することが難しい。

霊感もタロットも占星術も、今の科学の範疇からはみ出た知識ということで、共通しているのかもしれないけど、それは日本語でなければ英語もドイツ語も同じことだ、といっているのと同じぐらい乱暴なことのように思える。

 

自分は自分がやっていることが「占い」だとは感じていない。
「占い」が何かというのが定かではない。

占星術には、ほかの「占い」には当然のようにある偶然性みたいなものはほとんどないといっていい。なぜかという説明は難しいが、にもかかわらず、この時期にはいわば「必ず」こういう変化が起こるよ、ということである。ある瞬間に自分がエンペラーを引いてしまうのかビショップを引いてしまうのかわからない、というようなあいまいさのない世界である。
そしてこの「なぜか」ということが、ある意味占星術の究極のテーマである。

 

で、この「占い」という区分でひとくくりにされるのが、最近どうも気に入らない。

別に怪しげなドレスを着こんで、あれこれの飾りをぶら下げ、明かりをわざわざ暗くして相談者を向かい入れたいとは思わない。仮にそういう大道具・小道具が必要なケースがあったとしても、それは必要だからやっている、というのがいい。

「占い」という区分の不思議」への2件のフィードバック

  1. あめ

    私も、スピリチュアルと占星術は違うと思います。占星術は学問に近いような。いつか、科学的にも証明される気がします。科学的って言い方もへんですが、なんというか、霊感とは違うもの、という意味で。普通の生活ツールとして利用されるものになると思います!

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      あめさん、こんにちわ。

      そうですね。説明しだすときりがないけれど、霊感的なものとは全く違うと思います。

      返信

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