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祖霊信仰

先ごろ、いろいろ沖縄のものを目にする機会があって。そう、ブラタモリが竹富島に行って、神司(かんつかさ)さんの話を聞いたり、Youtubeでも何か東京の震災でいろんなものが見えたり聞こえたりするようになって、石垣に行ってユタの修行をした人の話だとか。

沖縄の信仰では、ユタさんは大体、先祖を大事にしろといい、お墓参りを勧めてくる。竹富島では、6つの祖先さんのルーツがあって、それぞれにウタキ(聖地)があり、島の住民は皆それぞれの氏子になっていることが紹介された。

 

自分でそうしたものをいろいろ考えているうちに、実は自分にとってそうしたものは、まったく違和感がないことに気が付いた。

 

何が言いたいのかというと、本土で神社で氏子さんがあったり、お寺の檀家さんがあったりするのだけれど、そのお寺とか仏教の教義でそれらしい色付けがされているものの、要するにそれは一種の祖霊信仰なのだということ。沖縄ではその仏教的な飾り付けが取っ払われた、恐らくはもともと日本にもあった祖霊信仰をそのままやっているのだと思う。

日本の仏教は葬式仏教だと揶揄される。もとの仏教と違うじゃないか!しかし、恐らく日本人がそれを受け入れなかったのだ。まっさらなパッパラパーのおさるさんの集団に、「釈迦牟尼仏しか思想はありませんよ」という形で仏教が導入されたわけだはなかったのだろう。もともとそれなりに祖霊信仰があり、そうした祖霊信仰を元に、霊力を持った偉い人も日本にはいたのだろう。そこで仏教がやってきたときに「じゃ、おじいちゃんはどうなるのですか?」と聞かれたとして、仏教はそれに対してそれなりの答えを用意しなければならなかった。

こうして仏教は、祖霊信仰のいわば「スキン」になった。

おじいちゃんは「仏さん」になった。迷っている「仏さん」であるおじいちゃんは「成仏」させなければならない・・・。元の成道や涅槃や四果の概念とは全く別の「仏さんの成仏」が生まれることになった。その皮をはいでみると、実はその実体は祖霊信仰なのだと思う。

 

問題はこの祖霊信仰で行われていることが、結構パワー・真実味があるということ。そして、それに対して今は大っぴらに話をすることがタブーであるということ。

つまり、今目の前で何かの問題が起こっているときに、それは何代前のこれこれという仏さんが成仏していないからだよ、というようなことが言われ、ユタさんだか密教の行者さんだか知らないけれどそうした人がそうした事実を突き止めて、祖霊を「成仏」させたりするというようなことがあり、問題に直面している人がそういうことを無視できない状況がある。

一方で、市役所に行って「3代前のご先祖さんが成仏していないんです」っということを言うことはできないということ。

 

祖霊信仰は、たとえばポリネシアもそうだと思うし、ハロウィーンもそうだと思うのだけれど、キリスト教、仏教、ヒンドゥー教などの宗教では、あんまり言われない事柄です。精神的な指導者でそうした事柄から一線を画している人も多い。

日本では、恐らくこの祖霊信仰とつじつまが合う説明をつけられる思想が、社会を動かすことになるだろうと思う。たとえば共産主義者は科学的な思考しかしないから祖先を大事にしないかというと、そういうことは決してないだろうと思うからだ。

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