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ふたりの私

達成するのは私ではない。私は達成できないのだ。

自分は人生でいつ幸せになれるのか?幸せになりたい。それが私の願いなのだ。

しかし、願うということは欲望ではないか。願うということは足りていないのだ。幸せになりたいというのは、私が不幸だということなのではないか。

 

その願うという心の動きをなくすことによって、私は幸せになる。そうだね?

しかし、待ってくれ。願う私以外に私がいるのか?願うという心の動きそのものが私なのではないか?

 

そう、幸せは最初からここにある。私は決して幸せになることはできないのだ。幸せになるのは私ではない。沈黙を達成する人、魔法使いになる人、神を見る人、それは私ではないのだ。

幸せな時、心が沈黙するとき、私はいない。私はいつも心の中で語っている。いつも何かを欲している。私は決して幸せにはなれない。無欲だ、沈黙だというときには、そこには私はいない。

 

福音書の多くの言葉が、「私」を分けて考えて初めて分かる言葉になっている。福音書を読む以前に、私のことを考えた人は、福音書の中に真実を見つけることができる。そんなに難しくはない。

 

幸せになるのは、私ではないのだ。それを納得すると、とても楽になる。我々一人一人に死は迫っている。

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