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非現実的な「死」

高校生さんが同僚の高校生を「人を殺してみたかった」と、かなり計画性を持って殺人をしたということで、連日ニュースや話題になっている。また、なんでも、サイコパスとかいうアニメが内容を連想させるものだということで放映自粛になるらしい。

 

だけど、考えてみると、毎日テレビでは普通に人が殺されてますよね。平日の午後だと2回か3回ぐらい殺人事件のドラマがあります。

 

この番組、いろいろ見ているとドラマを見て感動するとか、そういうレベルを超えていると思う。やたら複雑なトリックやアリバイ崩しをしたりなんかして、最終的にはあれは事故だったんだとかなんとかで、相手を振りほどいたら石段を転げ落ちて死んだとか後ろに倒れたらちょうど大理石の灰皿があって後頭部を打って死にましたとか、そういうことがたびたびある。俳優さんがどこかの神社の石段を転げ落ちるところとかやって見せる。おい、それで死ぬのか?途中で止まれよ・・・

 

犯人を捕まえるときにやたら長々と事情を聴くというのも、日本のドラマの特徴的なところだと思う。

刑事コロンボはアメリカの刑事物だけど、ほとんどの作品は難しい謎解きで犯人との知的なやり取りが見どころだ。しかし、後期の作品ではピーター・フォーク自身が監督をして、少し色合いの違うものが出てきた。こんなのを見たことがある。変質者がコロンボの縁者である結婚を目前に控えた女性をさらっていくのだが、誰がさらって行ってどこにいるのかわからない。様々な証拠を集めて居場所をつきとめ、ぎりぎりのところでその場に踏み込む。そして踏み込んで変質者を打ち殺す。このときはコロンボも銃を持って突撃する。

アメリカの場合相手が銃を持っている危険性がある。だから打ち殺すというのに違和感はないのだろう。しかし、これはこれでとても現実的だと思う。本当に危険が差し迫った状況では、かっこいいお兄さんが「馬鹿な真似はよせ!」とか叫んでいる暇はないと思うのだ。

 

どうも、日本のメディアというのも、さまざまな戦後のタブーでがんじがらめになった挙句「死」から距離を置きすぎてしまって、やたら非現実的な架空の空間を作り上げてしまっていないか?

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