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知るということ (2)

何かを知るということは、理論的に知るということであり、その法則を体現すること、少なくとも部分的には、あるいは一時的には、その何かに溶けることだ。

 

当たり前のことなのだけれど、そこが、普通の人になかなかわからないことだ。

 

たとえば、子供の時にソフトボールとか野球で外野を守っていて、バッターが大きなフライを打ち上げた時、どこに落ちるかわからなくて取ろうと思った時には自分のずっと後ろに落ちそうで間に合わなくなった、という経験をだれでもすると思う。

これ、放物線ですから、二次関数のグラフの軌道ですよね。キャッチするためには、頭でわかっているだけではダメで、だからといって取れるから放物線の理屈が説明できるものでもない。「あそこに落ちる!」というためには体がその理論をわからなければならない。

 

あらゆる精神的な事柄にも、当然このことが当てはまる。

心が沈黙した時に、知恵が向こうからやってくる。その瞬間には確かにそうなのだ、と確信を持てる。そしてその理論は目の前で現実化している。realizeしているのだ。
ところがその意識状態が失われてしまうと、そんなものがあったのかどうか、はっきりしなくなってしまう。
じかに見た時の説明が眉唾なもののように思われてくる。それでもあちら側から引っ張ってきた言葉はあちら側への道を切り開いてくれる。

 

わかるということ、知るということはそういうことなのだ。

あなたはあるいは以前誰かが精神的な世界のことを話しているのを聞いて、疑わしく思ったかもしれない。だがそれを理解すると、その表現がうまくできないことに気が付く。まるで幼稚な表現しかできないのだ。理解するとき、法則が目の前で具現化するのである。

 

あなたは外野でフライをキャッチする。きっとキャッチするようになるのだ。

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