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時には昔の話を

先日映画「紅の豚」でポルコ・ロッソの声をされていた森山周一郎という方がお亡くなりになったということで、同じ映画でジーナ役をしていた加藤登紀子さんが森山さんに向けて、紅の豚のテーマソング「時には昔の話を」を捧げて動画を発表された。

実はこれに先立って、サンドイッチマンのお風呂いただきますという番組で、加藤登紀子さんのお宅を訪ねる企画があって、ここでも加藤さんはこの歌を歌っておられた。

加藤登紀子さんは東大卒で、旦那さんは東大で学生活動家だった。安保闘争をやっておられたんですね。

 

わたしももう全然若くはないが、それでも安保闘争は直接は知りません。安田講堂がどうとか、一世代前の話になっていた。

安保闘争では、今の日本共産党のほか、中核派、革マル派、全学連などがすべて共同で安全保障条約に反対し、これは成田空港の土地収用反対の闘争などにも持ち込まれた。しかし、何か伝え聞いた話では、成田でこの各派は仲間割れをして、その後は互いに攻撃しあうようになった。民青(共産党青年部)は民青で中核をボロクソに言い、中核は共産党を批判し、中核と革マルは鉄パイプ・ヘルメットでやりあっていた。

私の大学の時、まだ中核さんなどはいました。なんか、成田空港の敷地の三里塚で、土地の農民が収容に反対して木に自分の体を括りつけて、機動隊の放水にあくまで対抗しているような映像を見せられた記憶があります。

しかし、やがて自民党本部に中核のトラックが突っ込むという事件が起きたり、大学の中で内ゲバが起こって人が死んだりというようなことがあって、次第次第にこうした人々は「過激派」というレッテルを貼られるようになった。

 

繰り返しになるが、自分は大学に入ったときにはもう大方のことは過去の話になっていた。

初めてアメリカに旅行に行ったときに、バイト先の人がこの人を頼っていけ、みたいなことでロサンゼルスの日本企業の支社長の名刺をくれた。自分はその人を訪ねたのだが、紹介してくれた人の話をするとそんな人は知らないという。これは困った・・・しかし支社長は「とにかくアメリカでは何がしてほしいかはちゃんと言わないとダメだ」ということで、結局私たちがその日泊まる場所を用意してくれた。

話の中で、どうしてこの人が支社長のことを知っていたのかという話になった。自分は学生運動だったのではないかという話をすると、支社長の横にいる人がツッコミを入れた。「支社長、そんなことをなさっていたのですか?」すると支社長は、まあな、そういう時もあった、みたいなことを仰った。

みんなあの学生運動の時のことは過去のことになってしまって、当時東大やら大学に閉じこもって学生運動をしていた人も、何か社会の偉いさんになっている。馬鹿正直にそれを続けている人は過激派のレッテルを貼られてしまっている。

そのアメリカの旅行がすでに30年以上も前のことだ。

 

その、「時には昔の話を」なんですよね。

宮崎駿さんも、何かの出版物の中で「あの時代は共産主義が信じられていた最後の時代だった」みたいなことを仰っていたと思います。

“見えない明日をむやみに探して誰もが希望を託した”

多分そういう時代だった。みんなあがいていたんだろうと思う。
直接知らない私がこんな話をしなくてもいいのかもしれないけれど、たとえば今紅の豚を映画なんかで見ている若い年代の皆さんは、想像もつかない話なのではないかと思うんですよ。

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