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神を知った人

学力番組、みたいなのがテレビで一定の割合を占めている。クイズ番組と言ってもいいかもしれないが、昔の「クイズダービー」だとか、娯楽性があるやつではなくて、芸能人やら学生やらがガチで知識を競い合うような番組である。

 

だけど、そこに出題される問題には、誰もが知っている正解がある。ピカソやルノワールやムンクは問題にできるけど、無名の少年が世界を揺るがすようなすごい絵をかいていたとしても、それは問題にはできない。誰も知っていないことは、正解にできないのだ。

英語は、問題にできる。学校で習っていて、皆知っているという前提がある。だが、仮にそれがどんなに重要なものであったとしても、ギリシャ語やスワヒリ語やサンスクリットから正解を出すわけにはいかない。テレビにデーヴァナーガリーが映し出されたとして、それが正解であるかどうか、誰がわかるだろう?ゲストの学者さんが間違えそうな問題を出すわけには行けない。それが正解だ、ということもまた、一定の人々が認めるからクイズ番組なのだ。

日本の秀才中の秀才が、素晴らしい回答をするような番組もある。だが、それがいかほどのものだろうか。英語の知識があったところで、世界の共通語がほかの言語になってしまえば、そんな知識は大した役には立たない。歴史上の人物の名前を知っているか知っていないか。だけど、たとえば藤原道長のことを世界中の知識人が知っているかというと、別にそんなことはない。秀才と言っても、要するに器用に多くの人に迎合できる人、というだけのことだ。

 

神を知るということは、ほかの何かを知ることと違う。

神を知るために、ほかの何かをことさらに知っていなければならないという条件はない。

神を知らない間、神のことは決して納得できない。わからないのだ。あのときは、全く分からなかったそのことが、ある日から当然の現実になる。そして、そうなっても、わからない人には決してわからない。自分もかつてそのようだった。

それはその人が人並み外れた頭脳を持っていて、難しい問題を解き、博学であらゆることに通じていても同じことである・・・こういう言い方をしては元も子もないわけだが、馬鹿は馬鹿なのだ。

 

自分もかつて馬鹿だった。なぜ、あのときはわからなかったのだろう?だが、多くの人がまるで鬼の首でも取ったかのように自分の無知をひけらかす。

 

どうしたもんでしょうかね。

そういう人に伝えたいと思っても、どうしようもない。自分で気がつくしか仕方がないのだ。本当は何とかしたい。だが、自分が体験してきたあらゆること、考えてきたあらゆることのエッセンスを彼に渡して、「ほら、これが事実だろ」ということが、できないのです。

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