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世界の終わり

この間考えていて・・・そう、自分はいつも内的な何かについて考えている・・・その、必要な達成というのか、意志、意識の変化のようなものが起こるときというのは、むしろ何の変哲もないとき、気負いのようなものがないときだったと思う。

何か人は、そう言う大きな出来事は「えいやっ!」と起こってほしいと思っている。
そうではない。自分の願い、意志というものをずっと継続していて、たとえばそれは呼吸に意識を集中するというような、ごくごく何でもないことを継続するということ、いやいや、それが正確には意志するということなのだけれど、それをしていて、何もないとき、別に大きなことがないとき、そういうときに、いわば何も大きなことがないままに・・・大きなことが起こる。だから、そこに少しでも「えいやっ!」という気持ちがないほうがよい。

我々は、その終わりが、個人的にも、大きな出来事であることを期待している。そうではない。そして、世界的にも大きな出来事についてしか、普通は考えない。


おりしも、今日は何か、スピルバーグが監督したとかいう、何か大きな彗星が地上にぶつかって、壊滅的な影響がある、その日を何日か後に控えて人々が奔走するという映画をやっていた。父と娘がわだかまりがあって、この大きな出来事をきっかけに心を通わせる。最後の辺だけしか見てないからわからないけど、結局その二人は海岸で仲直りをして海を見つめていると、彗星落下で起こった大津波にさらわれてしまって、恐らく二人一緒に命を落とした。

映画の作者は、こういう場面を描きたい。

だけどさあ。別にそれは彗星が落ちなくても、それだけで十分ドラマになるんじゃないの?

ノストラダムスの大予言。1999年に人類は滅亡する。ま、しなかったわけだが。そして、エホバの証人さんとか、普通のキリスト教でもよくいうけど、世の終わりが来るみたいな、最終戦争がありますとかなんとかというので、いわば脅す教えみたいなのもある。

だが、恐らくは、適当な終わりがあるほうが人生は楽である。もし本当に明日で終わり!と言われたら、それはそれなりに楽だ。そんな風には大抵の人生は進まない。長い間病気と闘わないといけないかもしれない。健康な何一つ問題がない人だって、明日一日の稼ぎをどうするか、嫁さんとうまくやって行けるか、何かがある。何かがあるんですよ。

人によっても違うのかもしれないが、多分、大事なものは穏やかにやってくる。巨大な隕石とか、大津波とかで一瞬のパニックでやってくるわけではない。いやまあ、そういう人もいるかもしれないが、大抵は、多分、大きなことは穏やかにやってくるのだ。

 

多分、キリストはそのことをいいたかったのではないかと思うことがある。彼自身十字架にかかってドラマチックな人生をこの世で演じたわけではあるが・・・

つまり、彼は「そんな日がいつ来るのですか?」と聞かれて、「その日二人の男が寝床にいて、一人は取られ、一人は残されるだろう。その日二人の女がうすを挽いていて、一人は取られ一人は残されるだろう」と言っている。

 

巨大彗星が落っこちてくるとき、多分女はうすを挽いたりしない。何日も前からその不安な影が天を覆っていて、映画の中でそうであるように、人々は逃げるだろう。大津波が来た時には、多分残念だが二人とも流されるだろう。

わかるだろ?大きな出来事が起こっているときには、人は逃げたり騒いだりしているのだ。ソドムでそうであったように食ったり飲んだりして、あるいはうすを挽いたりはしていない。明日死ぬと思っていれば、普通に電車に乗って通勤したりしていない。しかし、キリストは言った「その日は盗人のように来る」

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