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100ページのノート

先日50枚のノートを買った。ノートの上のところに罫の太さと枚数が書いている。50枚と書いたやつだ。ということは100ページある。

前からやろうと思っていたのだけれど、自分がしようと思っていたことはこういうことだ。

1ページ目の上部に、自分の生年と0歳と書く。2枚目には翌年の数字を書いて1歳と書く。こうしていくと、1年1ページで100歳までの白いノートが出来上がる。

それで、兄弟が生まれた年とか、肉親が死んだ年、学校に入学した年、あるいは家族が入学したとか、結婚、就職、旅行したとか、主なことをその年のページに書いていく。そして、たとえば入学した年を書いたら、先生が誰だったとか部活動を何をしたとか、だんだん細かく書いていこうというわけだ。

 

10年ほど前に転機があって田舎に戻った。それはこの間の出来事だったような気がしていたが、あっという間に10年経ってしまった。そして、コロナ・コロナで外出もままならない始末だ。漫然と時間が流れていく。オリンピックが行われたが・・・ついこの間トリノで荒川さんが金メダルを取ったような気がしている。

これはいけません!ただ、それが漫然としているだけではなくて、自分の人生は変化がいろいろあったから、今何か前後の脈絡がなくなってしまって、「あのとき自分は何をしていたのか」というのがわからなくなってしまっている。

 

しかし、それだけではない。このノートは、いわば「魔法」だ。こうすればそれが起こることを私は知っている。

つまり、いろいろなことを書くじゃないですか。「あのときあんなことをしていた」その結果が・・・昨日の占星術とは何の脈絡もない記事だ。

本当はこのブログは占星術の記事を書かなければなりません。すみません。なかなか時間が取れなくて、この間の切りつけ事件もホロスコープのちゃんとした結論がだせないままになってしまっています。ブログの読者の皆さんにはまことに申し訳ない。それはそれとして・・・

過去のことを書こうと努力する。すると・・・全然関係ない記憶がよみがえってくる。「あっ、あのとき、あれをしていた!」

 

人は、記憶というものを脳の機能、何か機械的なスイッチが入るか入らないか、CD-ROMに小さな光の穴が開いているか空いていないか、そういう記憶媒体に記録されているものと思っている。
そうではない。
記憶には複数の種類がある。頭が覚えているということと、その景色を見たということは違う。人は記憶は、「頭が覚えていること」だと思っている。
そうではない。たましいは一つ一つが世界の全体であるような、そういう何かで出来ているのだ。書けば、あるいは話せば、嘘をつかずに正直にそれに面と向かえば、そのたましいの奥の記憶がよみがえってきて、その全体をもう一度体験することができる。それは単にその出来事があったという記録ではなくて、その時の目に見えるもの、耳に聞こえるもの、匂い、思い、願い、悲しみや喜び、すべて追体験するのです。

 

あのとき、あれはそんなにも大事な体験だった。あるいは緊張したり、そのために一生懸命考えたり、あれもこれもしたはずなのに、まるでそんなことはなかったかのように今日自分はここで生きている。何もかも忘れてしまっているのだ。人間って不思議なものですよ。

 

それがよみがえって来れば、私は多分私を取り戻して、次のステップに行ける。

今目の前に見えているものも変わって来るさ。

100ページのノート」への2件のフィードバック

  1. あめ

    私も1年半くらい前から、2歳からの記憶を書き綴ってています。今やっと中学校に入学しました(笑)

    そうなんですよ。書き始めるといろんな記憶がよみがえってきて、どんどんペンが動くんです。
    そして当時の自分と向き合うことで、乗り越えるべきトラウマのようなものが視えたり、今の視点で視れることで実際乗り越えた感があったり。

    1ペーシに1歳ぶん!
    それ、わかりやすいですね。

    ただ記憶の洪水がすごくて、A5のノートだとたとえば5歳児(年長さん)は12ページになっちゃっているので、
    書いてるうちに足りなくなりそう。

    返信

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