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中動態

日本語には同じ動詞に自動詞と他動詞があって、自然にその区分を意識している。

たとえば
起きる<->起こす
みたいなことですよね。起こすというのは誰かを起こすこと。起きるは自分が起きること。

 

だけど、英語には基本的にそういう区分はありません。たとえばrunという動詞は、自分が走るという意味もあるけど、何かを走らせるという意味もある。どうしても状況的に違うということを表現することは英語でもいろいろな表現を使ってできるのだけれど、そうするためには、多くの場合別の動詞を使って表現したり、語彙や単語の数の多さや順番、慣用表現でカバーすることになります。その別の単語というのは、多くの場合フランス語とかほかの言語から輸入された言葉なのです。学校の文法では再帰代名詞(find himselfみたいなやつ)というのを習うけど、要するにいくつかの単語の組み合わせですよね。結果的に覚えないといけない単語が多い。

 

ギリシャ語の場合、ほぼ他動詞に対する自動詞というのに似た区分があって、中動態と言われています。能動態、中動態、受動態があって、だけど受動態と中動態の形は同じです。

アルキメデスが王冠が贋作かどうか調べるため比重を調べる方法を風呂に入っていて「見つけた!」といって風呂から飛び出したという逸話で有名なεὕρηκα(ヘウレーカ、現代語の発音でエヴリカ)はεὐρίσκω(へうりすこー、現代語の発音でエヴリスコ)という動詞の過去形なのですが、現代語では最初の「ヘ」の部分がなくなってしまって

βρίσκω(ヴリスコ)  βρήκα(過去形 ヴリーカ)という単語になっています。

これには中動態があって

βρίσκομαι (ヴリスコメ いる、自分を見つけている)という形になります。find myselfですね。

動詞は態のほか、性、数、時制によって変化します。ニュースとか動画を聞いていても頻繁に中動態過去とか中動態完了などが出てきます。受動態と中動態の形は同じなのだけれど、要するにその動詞のアクションの対象になっているのは主語の人です。上記の例でいうと発見されているのは私ということになります。

 

το μωρό καταπλακώθηκε από τη τηλεόραση. (赤ちゃんはテレビの下敷きになって押しつぶされた)

 

変化がそれだけあるってのは、しんどいんですよ。ある程度の規則性はあるものの、覚えるの大変。

だけど、一言単語を言っただけで「これは誰が誰に対してどういうことがあったのか」ということはわかりやすい。ニュースなんか聞いていても、構文どうこうで悩んだり誤解したりすることはあまりありません。

 

逆に英語にそれがないというのが、不思議な気がします。たぶん、英語のほうが珍しい言葉なのだと思う。

日本語は主語の性や数などは考えないけれど、起きる、起こす、起こされる、みたいなのはわかりやすいですよね。

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