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総務担当者ユダ

イスカリオテのユダについては散々色々な人があれこれ言ってるから、自分が言ったところで今更なんですよ。

いま、自分は正教会のイオアンによる聖福音経を録音して、USBメモリーに入れていて、車で運転中聞いている。他にもロシア語のCDとかいろいろ入っているから何日かごと、月ごとかわからないけれど、とにかく巡ってきてその内容を聞く。

ヨハネの記述は、恐らくとても正確なのだろうと思う。その状況とか、語られた言葉は、その場で聞いているような臨場感がある。

そして、ユダとのやり取りである。自分は正教会訳を聞いているけど、一応口語訳のほうを乗せておきます。

12:3-8
その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
弟子のひとりで、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、
「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。
彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思いやりがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中身をごまかしていたからであった。
イエスは言われた、「この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。
貧しい人たちはいつもあなたがたと共にいるが、わたしはいつも共にいるわけではない」。

 

仮にここからヨハネの主観、ヨハネの説明部分を省いてみる。

その時、マリヤは高価で純粋なナルドの香油一斤を持ってきて、イエスの足にぬり、自分の髪の毛でそれをふいた。すると、香油のかおりが家にいっぱいになった。
弟子のひとりで、イスカリオテのユダが言った、「なぜこの香油を三百デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか」。
イエスは言われた、「この女のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それをとっておいたのだから。
貧しい人たちはいつもあなたがたと共にいるが、わたしはいつも共にいるわけではない」。

 

自分は今日車の中でこの会話を聞いた。それを聞きながら、とても普通の会話に感じた。

なんというか、ヨハネはユダについて裏切り者として、そう読者が理解するように、説明を付け加えているが、交わしているやり取り自体は、ごく普通のやり取りで、たとえば主がユダを不正な会計処理でとがめだてしているという様子はない。それはユダがうまく主をごまかしているのだ、と考える人もいるかもしれないが、イチジクの下にナタナエルを見てしまう主だ。ごまかせるはずがないじゃないか。ごく親しげに、主はユダに話しかけ諭しておられるように見える。また、「私はいつもともにいるわけではない」と仰っているということは、これから起こるべきことを、ユダに対してもちゃんと示しておられることになるだろう。

ヨハネの説明さえなければ、描写だけであれば、人は単に信頼された一人の弟子と会話しているとしか思わなかったかもしれない。

恐らくヨハネが福音書を書いた時に、その場に居合わせた人やその様子を伝え聞いている人が何人もいたのだろう。ヨハネは主のお話になったこと、起こったことについて忠実に再現する必要があった。だから福音書に書かれている会話自体は、とてもリアルで、恐らく正確なのだろうと思える。そしてヨハネはそのことを予測したうえで、「君たち、こういう風に会話を聞いただろ。だが普通に聞いて理解できるように理解しちゃダメだよ。あいつは裏切るつもりだったんだから。」と説明をし直しているかのように見えるのです。

 

ユダは主から会計を任されていた。

少し前、自分は自治体の総務の役回りになって、会計もしなければならなかったし、新年会の手配とか、運動会の打ち上げの手配とかをしなければならなかった。自治会で決まると、事前に皿盛とかビールとか子供用の飲み物やお菓子や果物なんかを調達したりして、料理屋に後で金を払いに行ったりするわけです。

普通は、よほど信頼される人物でないとそういうことはないと思うのです。ま、自治会費ぐらいは、持ち回りで管理する番も来るわけだけど、それにしても金を預けて心配な人間にはさせないだろう。

ひょっとすると、ユダは最後の晩餐の手配もしたかもしれない。呼ばれた他の弟子たちは、「じゃ、行きましょう」ということで呼ばれていったかもしれないが、そこにはワインを手配したりパンを手配したり器を用意する人がいなくてはならない。普通に考えればユダがその役割をやっていたはずなのだ。

もし、幹事さんがすべての手配をして、パンと葡萄酒を用意し、その幹事さんに向けて主催者である主が、先にぶどう酒に浸したパン、要するにその場で渡されるべきもの、それを優先的に渡し「しないいけないことをはやくしなさいよ」と言ったとしたら、誰が彼が裏切り者だと思うだろう。しかも福音書は、「席を共にしていた者のうち、なぜユダにこう言われたのか、わかっていた者はひとりもなかった。」と言っているのです。その状況なら誰もがユダは幹事・総務・会計として、どうしてもやらないといけない仕事を主から命じられているのだろうと思うのが普通じゃない?

 

ま、ね。自分は一応教会にたてつくつもりはありません。だけど、一応変だなとは思います。先に申しましたが、ユダの福音書のような書物も発見されていて、この問題は今更です。自分も読んでみようと思う。今日はたまたまそう思いました。

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