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聖歌というものは

運転するといっても、私の車はないので、家族の車を使っている。いつもCDには、母の好きな青江美奈さんとか女性歌手のヒットナンバーが入っているCDが入っている。

 

遠出したときに、今回は自分で違うものを聞こうと思い、CD屋にいった。ジルベール・ベコーか、聖歌か何かが目当てだ。今どきet maintenantなんて売ってないですね。それで結局ラフマニノフの晩祷を買って道すがら聞いてみた。

 

失敗だったかなあ。ぼわーんとした響きでよく聞こえないかと思うと突然大きくなったりする。聖歌としては音楽的にかっこよすぎるのだ。
一応、我が霊の歌い出しはスラブ語でもちょっとわかります。だけど、合唱が小さく始まって追いかけるようにソロで歌ってると、そもそもちゃんとスラブ語なんか勉強してないのに、どこを歌っているのか皆目わからない。

 

聖歌というものは、

1.当たり前のことだが歌えなければならない。複雑な合唱曲は少なくとも一人では歌えないのだ。あなたが教会にいって歌を覚えて、あるとき歌の意味に目覚めて山の中に修行に行った時に、結局その歌は再現できなくなってしまう。
2.その祈祷を覚えるのに資するものでないといけない。ロシア聖歌で教会に行って歌うと、結局テナーパートしかわからないというようなことが現実に起こり得る!
3.言葉と音楽が合致していることが望ましい。外国の聖歌を日本語にうつすと「レレレレレレレレレレレレドー」みたいな、最後の音以外は全部レの音の節回しなどが出てくる。これはカトリックでも正教会でもよくあることだ。とにかく音楽にのって日本語で歌う必要がある、だからメロディーラインは日本語にあっていないし、無理やり詰め込むことになるのはある程度仕方ないことではある。
4.音楽が歌詞にそった一定の表情や感情的効果を持っているべきである。それがもし合唱が聖歌の目的に適わないのなら(ほら、テナーパートで祈祷が覚えられないという事態は避けたい)、単旋律においてできるだけ精緻な音楽理論、つまり旋律の作成方法があるべきなのである。

 

ほかの国の古典音楽は知らないけれども、少なくともビザンチンは完璧にその要件を満たそうとしたことが見て取れる。週ごとに使うべき旋律の作り方が変わる。この調の時にはこれとこれの音を使わないといけない。メロディーが上昇するときにはこれ、下降するときにはこれでないといけない。ギリシャ語の句読点やアクセントに合わせ、この音を使ってこのように記譜しなければならない。楽器の伴奏もないので、一度覚えれば、どこかにひとりで行ってもその歌を再現することができる。

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