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天国

キリスト教と天国は、少なくとも日本では「セットメニュー」になっていて、仏教では極楽に行きます、キリスト教では天国に行きます、みたいな形で語られることが多い。ひょっとしたら、多くの人は天国には蓮の花の池と赤い柱の建物があると思っている人も結構いるのかもしれない。

仮にそういう漠然としたものでなくて、ちゃんとしたクリスチャンの方で、熱心に聖書を読んでいる方であっても、
「天国というものは善行を行った人が死後行くところだ」
と思っている方がほとんどなのではないだろうか。

 

天国が来るものなのか行くものなのか、死後の話なのか何世代か後に来るものなのか、そういう何かいろいろな先入観念は置いたとして、福音書に書いてある通りの「天国」というものに注目している人はいない。たぶん、キリスト教徒で誰も「天国」ということを文字通り受け取っている人はいないのではないだろうか。

多分どうせ「天国」が何かは、ほとんど誰もわからないのです。じゃあ、そこは「××」ということにして、国語の読解力でもって、大学の入試試験よろしく「以下の文書を読んで××の特徴をまとめよ」みたいなことをすればいいんですよ。

 

ほとんど毎ページにわたって、福音書には天国のことが書いてある。それは要約すると大体このようなものになる。

  • 何か小さな種をまいたら、成長して、大きなあるいはたくさんの実がなるもの。
  • 主人が金を預けて出かけた後、家人がそのお金を元手に稼いでずっと多くするようなもの。
  • 主人が帰ってくるまで、油を絶やさないようにずっと目を覚まして待っているようなもの。

素直に読めば、大体このようなものではないですか。

 

預けた金はタラントで、これは英語では「才能」という意味合いの言葉になっている。現在日本でもテレビに出る芸人さんのことを「タレント」と呼んでいる。しかし、要するにそのタレントをたくさん稼ぐようなもの、が天国であるわけで「おい、お前たくさん才能を開花させて、まるで天国だな」とは誰も言わない。

 

主人が種をまく、金を預ける

僕が金を稼ぐ、まいた種が成長する。

実がなる。

(多分ここでひと悶着ある。つまり、あなた方は見たいと思ってもみることができないみたいな。ここで目覚め続けていないといけない。最後まで耐え忍ぶものは救われる的な。)

主人が帰ってくる。あるいはやってくる。

 

これは一連の流れで、「おめえら、これが大事なんだぞ」と繰り返し繰り返し言われていることなのです。

部分部分は正しく理解されていると思うんです。タラントがタレントだ、というのは、別段歌を歌う才能のことを言っているんじゃないけど、あなたに与えられた何かがあるんだよ、という点では正しいと思う。しかし、それをつなげて考えてみた人がいない。

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