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多分、信仰を持つより大きな開運方法はない (1)

「占い」だというと「開運」だとかなんだとか、頭に接頭辞がつく。

多分占星術をすること自体に開運はないだろうと自分は思う。

この前フェアなんかに出て、一通り今まで何年にこういうことがあったはずというと、これは当たるわけです。そして、次の大きなイベントとして何年後にこれが待っているよ、と教えてあげると「で、どうしたらいいのですか」と聞かれる。

奇門遁甲とか、インド占星術は様々な実践的な手段を持っている。方位術、宝石、食事療法、何かを家の中に置いたり飾ったりする、などなど、だ。それはそれで研究すれば重要なものかもしれないが、決定的なものとは言えないのではないかと思う。

どんなにすごい開運方法があったとしても、その人自身の在り方、存在レベルみたいなものに依存してしまうことになる。

 

悲劇が起こるとき、どうやったらそれから逃れることができるだろうか。

たとえば先日のハレノヒの事件がありましたよね。成人式に振袖を頼んでおいたら服が届かなかった。何十万も損したばかりか、貴重な成人式の機会を失った。昨日やっと社長さんが会見されましたが、あれがあったからといって多分金は返ってこないし、もう一度成人式をやりましょうというわけにもいかない。
自分はあの社長はあの社長で悪気があったわけではないというのもわかる気がする。どんなひどい経営状態でも、前に進んで解決できればそれがいい。判断の誤りがあったにしろ「もうダメです」というのは、ものすごく大変なことなのだ。ま、それは本題じゃないですね。

福知山線の脱線事故の時、いつもその線を利用しているという同じ職場人がいたことがある。その人はその日何かの都合で一本遅い列車に乗った。それで事故に遭わなかった。もしいつもの電車に乗っていたら、その人はこの世にいなかったかもしれない。

何が違うのだろう。ハレノヒの事件の場合、被害者はみな20歳である。1998年の生まれの人ということになるだろう。1998年のホロスコープにみな20歳で経済的災難に遭うという星があるのか。多分その説明には無理があると思うのです。それでも、ホラリーとかで見ていたら、多分「この晴れ着は借りないほうがいい」というようなことは出たかもしれない。
しかし、ふつうそれは迷ったり疑ったりするようなことではないわけで、いちいちホロスコープを作ってみたりはしないだろう。

 

痛い、かゆいをいちいち予知して、それに対してバタバタと対策を立てる・・・それではスピードも遅いし、結果的に解決にもならないと思うのです。我々の行動や思考の容量を超えてしまう。

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