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光秀、ぜんぜんちゃうやん

麒麟が来る、なんていったって、別に見なくてもいいと思っていたのだが、さかんに宣伝したり関連の番組があったりする。

明智光秀は、信長から理不尽な扱いを受け、きんか頭とさげすまれ、比叡山焼き討ちは残虐だと信長を諫めると蹴っ飛ばされ、望みの所領をもらうこともなく、恨みに耐えかねて謀反を起こした、というのが世間で普通に描かれている像だと思う。自分もそんなに歴史に深入りするつもりはないので、それほどの興味を持ったことはなかったが、同時にそのように描かれた光秀像というものを疑いもしなかった。

 

しかし、ある番組で、本能寺の変の一か月前に光秀が連歌の中でこういうことを言っていたと聞いた。

「ときは今 あめが下しる 五月かな」

これはおかしいと思った。表向きは、五月で雨が降っているという歌だが、どう考えても「あめが下しる」というのは天下取りのことを指しているように聞こえる。ときというのは何でも光秀の出身の土岐家を指すとその筋の人は説明している。土岐家が天下を取るときは今だ、というわけだ。

これは、怨恨で謀反する人の歌ではない。こいつ、狙ってるよ。

 

もし仮に、光秀が全く計画的に一連のことをしたとしたらどうだろう。

表向きは光秀は信長を諫めたと広まっている。しかし、実際には信長に「延暦寺は焼いてしまいなさいませ」と進言をして、いざ比叡山攻めが行われると、坊さんたちに向かって「信長殿はちょっとひどいところがあるのです。私もお諫めしましたが、信長殿には逆らえませんでした」と言って、その残虐なことを信長にかぶせてしまったりしたら。
公家や坊さんにツテのあった光秀だったらそういうことができたのではないか。
もしそのあと比叡山とパイプを持っていたら、いざ信長を襲うときに「このたびは比叡山を焼き討ちにした信長を討つ所存です」といって味方にすることもできるんじゃないか?

延暦寺焼き討ちのとき光秀はどこにいただろう?それでググってみると、彼は焼き討ちに参加しており、戦いが終わると信長から戦後処理を任されて、所領ももらっている。

本能寺の変の時は、ほかの有力な家来が遠方の大名たちと戦いを交える中、一人畿内で力を持っていたといえなくもないらしい。そういう資料が続々ネットで出てきた。

 

ほらぁ。やっぱりそうじゃん。実際には信長のNO2としてふるまって、貴族や将軍、寺社ともパイプを持ちつつ、狙ってたんじゃないの?

ま、いいわ。私ごときが言わなくても野望説はあるようです。あとは歴史家の人に任そ。

2 thoughts on “光秀、ぜんぜんちゃうやん

  1. あめ

    「麒麟が来る」おもしろいですね。数年ぶりに大河ドラマ、見続けられそうです。前回は確か上野樹里ちゃんの「江」でした。欠かさず観れたのは・・。

    信長は賢い人か好きだと思うので、傍においていた、ということは光秀はとても賢かったと思います。怨恨で主君殺さないと思うので、やはり勝算があっての野望説の方が信憑性が高い気がします。

    全然話は違うのですが、雲南市が記事になっていたのでご紹介です。
    https://news.yahoo.co.jp/feature/1556

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      あめさん、こんにちわ。

      光秀はあんまり見ないつもりだったのだけれど、ひょっとしたら面白いのかもしれない。
      帰蝶さんの役の方、張りのある目をしておられる。本木さんの道三もいいです。

      加茂は隣町で、それほど詳しいわけではないのですが、かもマートを始めた方はお会いしたことがあります。
      昔からある呉服屋さんの若旦那さんで、地域の人が利用できるようにかもマートを始められたということでした。

      返信

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