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パラダイムの転換

神とは何か、神はいるか、という質問はずっとある質問だ。そして多くの人が結局納得できない。そして、何度も何度も質問を繰り返すことになる。

神自体は目新しいことでもなんでもない。多くの人々がそれについて語り、書物が著されている。
そしてその説明は大体正しい。一つしかないとか、創造したとか、全知全能だとか。しかし、なぜそんなことがわかるのだ?

神を見た人がいるのか?証拠はあるのか?どんな姿なのか?知ることができないのならなぜわかるのか?

誰も納得できない。

 

その質問に対する本当の答えは、一種のパラダイムの転換である。

 

ある特定の時代のある特定のエリアで、天動説が信じられていた。天動説を信じている人にとって、「地球の重心」というような言葉は意味をなさない。下は疑う余地もない下である。数学的な背景も何もいらない。地動説を受け入れた瞬間に、地球の重心という言葉は、当たり前の事実になる。見た人がいるのか?いない。確認できるのか?物が落ちるから、それとわかるわけだが、天動説の人には同じ事実が地球に重心があるという証拠にはならない。

 

世界は個から成り立っているのではないということを受け入れたということは、結局神を受け入れたということになる。一足飛びに何もかもわかるというわけではないけれども、最終的には事実を知ることになる。人々は、世界が「もの」から出来上がっていると信じている。本当はなんの根拠もない。「もの」というのはバラバラの死物であり、つまるところ空間で隔てられた原子である。そうではないのだ。この世は生きたものからできており、つまるところその生きているものはバラバラに存在しているわけではない。一つの源からやってきているのだ。

 

神を知ったらどうなるというのか。太陽が西から上るようになるか?いや、毎日は同じだ。同じように東から日が上り、新聞屋さんが来て、鳥が鳴く。何も変わることはない。だが、昨日まで起こっていたことは物質の世界を証明していたのに、今日からは同じ起こること一つ一つが神を証明することになる。

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