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人の理解がなくては (2)

前にこの記事を書いたのだけれど、自分の言いたいことを、なかなかうまく表現することができなかった。

 

たとえば教会なんです。

教会に所属していて、福音書とか読むとか、何かの活動をして、それまでわからなかったことがわかった!ということがある。今まであったわけだ。

しかし、そのわかったことと教会の教えは一致してるかどうか。いろいろ暗中模索して探し求めたけれど、結局これだった。これしかない。そういう結論が出た時に、「いや、教会はそんなことを言っていないよ」と言うことはあり得る。

具体的に誰かと対立するということはあるだろう。教会の友達か、執事さんか、神父さんか、誰かと対立する。「君、伝統はそんなことを言っていないよ。君は間違っているんじゃないか。」
あるいは教会について書かれた本を読んでいると、どうも違っている。

その場合どうするか。

 

神が直接語り掛けられるまで待つか?
いやいや、わかったということは何らかの形で啓示があったわけだ。当然じゃないか。
道を行く人は皆暗中模索だ。
「啓示がある」なんてことは、誰も経験したことがないことが起こるということだ。
「あっ、これわかった!」なんというエンライトメントだ。
さてそのときどうなるか。
信者:私、啓示受けました。
司祭:お、やっと受けたか。
信者:神様が語り掛けられました。
司祭:そうそう、よくあるよね
信者:って、ねえよ!
そうなるに決まっている。そんなに簡単にそんなことは起きないからこそ問題なのだ。

 

今、あなたがわかったことは、世の中の誰も知らないことだ。いや・・・知っているのかもしれない。誰かは知っているかもしれない。誰が同じように理解しているのか?

そして、教会はそれは違うと言っている・・・らしい。その「教会」とは誰か。それは「誰か」だ。わかった誰か。わかっていない誰か。一生懸命やっている誰か。たまたまその地位に座った誰か。その「誰か」ではない教会の考え方と言うものは存在しない。存在しているのかもしれないが、なぜおまえにわかる?

 

そこで、あなたは「それでも地球はやっぱり動いている」と言ってもいい。教会と言う化け物がいるわけではない。あなたが開いた事実が教会を形成する。

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