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記憶はどこにある? (2)

情報として、データとしての記憶ではなく、あたかもそこにいるかのようにその空間が再現され、視覚が再現され、五感が再現されるそのような記憶は、一体どこにあるのだろう。

私たちは、多くの場合「脳に記憶がある」という。しかし、その人は、ちゃんと思い出したことがないのだ。彼はデータのことを言っているに過ぎない。ちゃんと思い出せば、その世界はまた再現されるのです。

普通の人はこう考える。目で見て、それを網膜が映しだし、神経で信号に変換されて、脳に届けられ、ニューロンの結びつきがそれを覚える。しかし、その、いざニューロンが結びついた結果認識されている世界というのは目の前の世界以外にはないのだ。目の前の世界と脳の間に変換は起こっていない。そして、脳が認識するというのは単なる反省的な理解、後で考えてみると多分そうだろう、という推論に過ぎないのだ。

本当の記憶は、完全にその世界を再現する。

しかし、そこでよく考えてほしい。
もし5秒前の記憶だったらどうか?
仮に5秒前の記憶でも完全な世界である。
では、今目の当たりにしている世界はどうか。
それも全く同じ種類の事実だということがわかるでしょう?

我々が見ている、ということは間違いないことだ。しかし、見ている対象、見ている世界がリアルなものかというと、実はそうではない。世界を認識するのは確かなことだが、認識される世界というのは単なる現象に過ぎない。

 

で、そこまでは、自分も前からわかっていることなのです。人は真実を見たとしても、その真実にふさわしい説明を持っていない。そのため新しい気づきが言葉になされないままだと、従来の説明が古い意識に我々を引き戻してしまう。

 

自分はちょっと前にカスタネダの本「意識への回帰」をパソコンでmp3に録音してみた。一度にできませんよ。ちょっとずつ、読んでは保存し読んでは保存して、USBに入れてある。車で聞くんです。時々読み間違えたりもしている。いいんです。運転している最中も、雑多で意味のないことではなくて、自分にとって意味のあることを考えたいから。福音書とか聖人伝も録音してやろうと思っている。
だが、とりあえず今はこの話だ。音楽やロシア語など雑多のことが収録されているこのメモリーを再生しながら自分は走っていた。

・・・(中略)・・・
「そういう記憶は僕の心の中にしっかり収まっているのかい?」
「いいや。ことはそう単純じゃない。見る者の行動は、精神と肉体に分類できるほど単純なじゃないんだ。お前がしたり目撃したりしたことを忘れるのは、忘れてしまったことをしているときに、お前が見ていたからだ。」
・・・(中略)・・・・

 

もう30年も読んでいる本で、30年も探し続けていることなのに、先日気が付いた。我々の記憶が脳に詰まっているのでなくても、私たちの中のどこかにある、みたいな感覚を自分たちは捨てられない。だが、そうじゃない。「こころ」なんてのは便利な日本語で「君の心の中にあるんだ」なんて言われると、「あっ、そうか」みたいに簡単に納得してしまいがちだが、実はそれは嘘なのだ。

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