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何を食い、何を飲もうと

健康の問題になると、ほんまにややこしい。あれを食べるとよいとか、あれは毒性があるとか。

それが本当に有益な情報である場合もある。しかし、定かではない情報であるケースもある。
肉の油は飽和脂肪酸で取りすぎはよくないという。一方でリノール酸は認知症の原因になるからサラダ油はダメだという。

じゃ、どうしたらいいんだ?何をいくら食ったらいいというんだね?

 

それらの情報は、多分善良な研究者が、一生懸命研究して導き出した答えなのだろう。彼は他の人に健康になってほしいと思ってそれを研究したのだろう。健康が改善されることは大事なことかもしれない。

ただ、そうしたことによって、寿命が70歳から80歳に伸びたとして、お前はその10年で何をするのだ?そうやって健康に長生きしたことによって、何かの結果を出せるから、良い人生だったから、やっとそうしたことに価値が見いだせるわけだ。肉で飽和脂肪酸が溜まるから辞めたほうがいいと言いながら、今日肉を食ったことで元気が出て80歳生きるはずのものが70で死ぬけど、その少し短い人生でちょっと元気になったぶん、より有益な何かが産み出せるかもしれないじゃないか。

 

では、そのいいものを食って健康でいるとか長生きするとかなんとかを越える価値とは何か。

これねえ・・・多分、年を取ったときには信仰みたいなものがあったほうがいいと思うんです。信仰があったら、やれ飯が食えん、やれ体が動かん、病気で薬を飲んだり寝たきりになったりしたとしても、「やっぱりこれが大事だ」というものは持ち続けられる。
その信じている内容は間違っているかもしれない。少なくとも正確にわかっているわけではなくて、半分は夢物語かもしれない。寝たきりになっても神様がいいということを信じて希望を持っている。神なんていないぞとか天国なんかそんなきれいなところじゃないぞとか周りの人間は言うかもしれず、信じている当人にとってもそれは定かではないものなのかもしれない。
しかし、その何かのストーリーを持ち、そこを信じ続けることによって、単に健康だとか単に長生きだとかいうのとは、違う価値観、違う希望を持ち続けられる。その信じている分の幾分かは、多分正しい何かを含んでいる。

 

だから「何を食べようか、何を飲もうかと思い煩うな」というのは大事だ。それは別の結果があるんだぞ、ということの裏返しだ。

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それで、今日はこの聖句を調べました。そうすると、また面白いことを発見した。

これ、マタイの福音書を見てみると、μὴ μεριμνᾶτε τῇ ψυχῇ ὐμῶνなんですよね。μεριμνᾶτεは慮る、悩むなのだけれど、あなた方のたましいで、あなた方の心でというのは訳されていない。こころは、あなたのたましいは、それによって思い煩う状態でないようにせよ、ということ。飯の用意はしないと仕方がない。献立は考えますよ。それでプシヒーが思い煩うということがないようにしなさい。それ、こころ、プシヒー、たましいが具体的なものを指しているのなら、ずっとリアルな指示だよ。

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