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「芸」って、なんだろ

毎日吉本の問題がニュースになりますね。これ、テレビの身内の話題なので、こんなにやらなくたっていいと思う。東電の時に社員が社長に意見しに行きますとか、カメラで追っかけますか?

 

それはともかく・・・

 

ちょっと前から、思うことがある。

漫才師さんでも、様々なスタイルがある。ナイツさんとか爆笑問題さんみたいに時事ネタでダジャレということになると、何年も同じネタをするというわけには行かない。オードリーさんも流行りの芸人をまねるとか、そういう手段は持ってますよね。

一方で、全部が全部というわけではないでしょうが、チュートリアルさんの漫才は、多分ずっとできる。チリンチリンとか、単に自転車のベルを盗まれたというだけの話をあそこまで大きくしている。たけし君とペロとか、ほとんど変態の犬のまねで終始している。

それで、こういう漫才なら「古典」にできるんじゃないかと思う。つまり、古典落語をすべての落語家が練習するように、チリンチリンを若い漫才師さんたちが、それはそれで面白く演じてもいいのではないかと思う。
そんな機会が来ることはないだろうけど、徳井さんや福田さんとお会いする機会があるなら一度その話をしてみたいという気がする。「チリンチリン・コンテスト」みたいな。素人さんがチリンチリンを演じて、Youtubeで応募するとか。それ、審査員つけて優勝者決定できない?

 

他の芸術の場合そうじゃないですか。即興で素晴らしいバイオリンが弾ける。すばらしい。あるいはコンサートでオーケストラとコンチェルトを演奏する。すばらしい。
しかし、そのトップの数人は「かなり弾けるけど、日本有数というわけには行かない」という裾野の人々に支えられている。その人たちは地域でバイオリン教室をしたり、趣味のバンドでひいたりして、それなりの存在意義というものを確立している。

落語にしたって、もともとは坊さんの説法だったと聞く。多くの檀家さんが集まったときに、皆さんが笑えたりほろっとしたりする話の中に、ちょっとした仏様の教えをちりばめて、わかりやすく人々に訴える。

そういう話であるならば、たとえば「売れない芸人」ということにはならない。下手でも、一応仏法を説いたということになる。
「あの坊さん、説法下手だよね。それで何をしゃべったの?」
「いやまあ、蜘蛛の糸の話をなさったよ。子どもたちは喜んでたよ。」
それで一応立派に説法をなさったことになるじゃないか。

 

今の芸人さんの場合、テレビの聴衆が、あるいはテレビの聴衆まで行かない、ちょっとした先輩が、あるいは小さな劇場の常連さんが「面白い」と思ったかどうかで、その価値が判断される。
その場合の芸人の存在価値とは何か。ある場合にはテレビに出ている評価のプロの笑いと、一般の人の笑いの基準が違いすぎて、「なんであいつが優勝するの?」というような文句となって表面化する。

メジャーリーグの次は草野球みたいな状態ですよね。それはやっぱりしんどいと思うんですよ。そういう状態だから、吉本さんも何千人も社員を抱えて、ギャラが入っても9割抜くなんていうことがまかり通る。

 

それ、なんか考え直してもいいかもね。小島よしおさん、裸芸だった人だけど、子供を相手にイベントをすることで、一般の芸人とは違う道を切り開いた。なんか、そんなね。

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