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預言 (2)

前の記事 預言の場合、何かを語っている声が聞こえていて、そのときに何が起こっているかわかっている。この実際にその時に何が起こっているかわかっているというのは、とても重要なことなのではないでしょうか。

 

たとえば、幽霊を見るとか、霊感とか、私たちは何かわからない不思議な現象だとして、怖がったり、否定したり、逆に興味津々だったりします。

だけど、本当はこれも経験している人がその時何が起こっているかわかっていなかったら単なる勘違いや偶然かもしれない。

「幽霊を見る」というのだけだけれど、なぜそれが幽霊とわかるのか。いつもあそこの家の影に白い服を着た女の人が立っている。でも、それだけだと「あいつは誰だ?」ということにしかならない。となりの姉ちゃんが白い服を着て、あんたをからかっているだけかもしれないじゃないですか。

霊感みたいなものもそう。ある人は、不意に訪問してくるお客さんでも、来る前にその顔が自然に思い浮かんだりするという。でも、それは偶然かもしれないじゃないですか。本人がそうおもっているだけの、所謂「イタい人」かもしれない。

(そうしたみなさんの名誉のために申し上げますけど、私はそういうことを仰る方を否定するつもりはありません。むしろどちらかと言えば肯定しています。)

 

霊感にしろ、幽霊にしろ、そのときに体験することは、普段経験しないことがらだ。

普通は、新しい何かを見ても、類推でそれが何かわかる。新しい建物が出来た。しかし、前にオレンジの看板が立った。ではこれは多分郵便局だろう。なぜなら他の郵便局も前にオレンジの看板が立っているからだ。何かわからない生物が目の前に出てきた。だが、これは足が細く羽があって、くちばしがある。では多分これは鳥だろう。

しかし、それまでに経験していない事柄が目の前に出てきた場合、人はふつう困るのだ。人の能力は何とかそれを既存のものに結び付けようとする。しかし、幽霊の場合はそれでは説明できないのである。幽霊は類推で考えれば、人に見えると思う。

それについての何らかの考えを見ること自体、認識自体、世界自体から得るということはありえないのだろうか。ところが預言の場合はそれがなんなのか、預言者は聞いているのである・・・(まだ多分続く)

 

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