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生きているものの満足のため?

ときどき聞くのだが、葬式や法事が終わったあとの食事の席などで、「最終的には、葬式や法事、仏壇のお供え、飾りなどは残っている家族、生きている人のために行うものだ」みたいなことを言う人がいる。結構いる。場合によっては、僧侶がそういうことを言うことがある。

 

仏教の場合、追善供養で、死者を供養することは供養した生者も善を積むということで、生者のメリットになるという側面が教義的にないわけではないらしい。

が、「こんな飾りつけをしたり、お経をあげたりするのは、実は残っている生きているもののための満足のためなのだ」みたいな言い方をする人もいるのです。

それ、あかんやろ。一般の人ならまだしも、僧侶が言っちゃダメだと思うな。

 

ほな、六道輪廻も嘘ですか?そういうことになってしまうじゃないですか。

地蔵さんを拝んで、死者を導いてやってくださいとお願いするのも、自己満足で死者には関係のないことですか?

 

自分が知っている限り、キリスト教にはそういうのはないと思うんです。修道院とか行って感じるんですけど、「こういうのは方便のために言われているだけで、実際には違うんですよ」みたいな人はいない。「こいつら、全員本気や!」というのを見てびっくりします。でもそれが当たり前だと思う。

日本の仏教の人ら、どこまで信じてるかわからないんですよ。

 

ここは、「あなた方のおじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さんのためにお祈りしましょう」でいいじゃないですか。表現は教義に照らして正確じゃないかもしれませんよ。だけど、死者のために金を払って、当然の前提でやりましょうということでいいと思いますね。

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