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瞑想の先にあるもの

NHKの「ガッテン」で瞑想を特集していたようだ。お釈迦様が呼吸に注意しろみたいなことをおっしゃって、それをチベット僧が素人さんにもわかりやすく説明していて、ガッテンさんはその科学的な説明を試みる、みたいな。

 

瞑想をしてみたことがない人に1日10分間瞑想をしてもらって、その前後で知能テストみたいなのをしてみたら明らかに成績が上がりました!それは脳内の海馬というものが瞑想をすると大きくなるからです。

いや、いいんですよ、それで。やってください。誰でもそういう風に始めるしかないんだから、それは正解です。

 

問題はその瞑想に与えられる説明です。というか、それは基本的に普通はわからないことなんです。

瞑想を開始してみるときには、心が平和になるとか、心拍数がどうだとか、脳波がどうだとか、そういうことを考えて始めると思う。そこで、たましいがどうだとか、結局世界は自分が思っているようなものではなかったとか、神という真実があるとか、開始時点ではそんなことはふつう考えていない。

うん、そうだね。もしギリシャ人が瞑想を信じないとしたら、それは言葉の問題は大きいと思う。日本人が瞑想の問題を語るとき、「こころ」の問題としてそれを語っていて、その「こころ」以外はすべて物質的な現象として説明しようとする。語彙が日本人は貧弱だからね。

本当は、瞑想という言葉でやろうとしていることは、たましいの問題だし、そこで見出す真実は心拍数だの脳波だの平板な物理的真実ではなくて、この世が壊れて神の真実が現れるということなんだから、普通の世界の言葉で瞑想を表現しようとしてもできるはずがないんです。

 

もし、それとは知らずに東京へ行く道の一歩を歩き始めたとして、途中どこへ行くかわからなかったとしても、そしてそれが何年もかかったとしても、最後にはきっと東京に行く。必ずだれでもそうなる。

瞑想の先にあるもの」への2件のフィードバック

  1. ネコ

    こんにちは、ネコです。
    瞑想の先にあるものは永遠です。
    その先には、大いなるもの、仏陀の世界、偉大なる神の世界。魂の世界。
    管理人さまの仰るように、「東京へ行く道の一歩を歩き始めたとして、途中どこへ行くかわからなかったとしても、、、、最後には必ず東京に着く。」
    その通りと思います。
    私が思いますには、瞑想の世界を進んで行くことによって、先は見えないかもしれないけれど、進んで行くことによって、魂の世界、なんだかそれは、つかみどころのない世界のようだけれど、やがて、見えてくる。それが、つかみどころのある世界として、実体として見えてくる。単に言葉ではなくて、実際の世界として、見えてくる。それは、永遠なる偉大なる全能の神の世界が見えてくる。
    それが、いつかは誰にも解らないと思う。
    いつ着くのかは解らない。
    そして、その「いつか」を、人が知ることは、
    多分、許されてないと思う。

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      ネコさん、こんにちわ。

      おっしゃることはその通りだと思います。
      そして、それは必ずあります。いつかはわからないですが。

      返信

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