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お釈迦様の場合

天職って決まっているのだろうか。この人生で自分がすべきことは決まっているのか。非常に大きな話で運命は決まっているのかという話になるが。

 

ある程度占星術をやっている人であれば、自分の占断・鑑定に対してそれなりの自信があると思う。この人はこういう職業に就く。大体こういう人生になるだろう。

たまたま、ある方が少しホロスコープを勉強されて、自分はホロスコープではこうなっているが本当はこうあるべきではないかと悩んでおられた。自分はどうあるべきなのか。何が天職なのか。

 

それとも運命は選べるのか。何も決まっていないか、あるいは決まっていたとしても自分の選択によって変わっていくのか。

 

自分としては、運命は非常にはっきり決まっているということと、何も決まっておらず現在の自分の選択が人生を左右するということの、両方が真実なのではないかという気がしてきた。

 

そういうことを考えていて、思い出した。

 

仏教の経典で最も古く編纂されたといわれるスッタニパータというものがあって、岩波新書から中村元先生の訳で出版されているが、そこにふたりのバラモンの論争について書かれている。

 

一人のバラモンは生まれによってバラモンであるという。もう一人は行いによってバラモンであるという。論争したが結局双方とも結論が出ず、お釈迦様のところに聞きに行こうということになった。

そして、お釈迦様は生まれによってバラモンになるのではない、行為によってバラモンであると教えられた。生まれによって農夫ではない、行為によって農夫である。生まれによって兵士ではない、行為によって兵士である。話としてはそれでふたりとも納得してお釈迦様をほめたたえる内容になっている。

 

一般的にはこの話は、身分制度があったインドで仏教がそれを否定したと受け取られる話である。

 

最初期の仏典スッタニパータ、およそ紀元前300~500年のお経にはすでにして占星術の用語が沢山ちりばめられている。

果たしてお釈迦様は占星術的な知識をある程度知っていて、一般的にはかなりな程度その人の運命が占星術的に予測できると知っていて、なおかつ行為によってその人がどうなるか変わると仰ったのだろうか。

それとも、単に当時の社会制度に対する批判として仰ったのだろうか。

あるいは、お釈迦様は傑出した方ではあったが、占星術云々というようなことはあまり考えずに一般論として仰ったのだろうか。

 

多分ご存知だったのだろう。お釈迦様の下で、指の首飾りといわれる殺人鬼・大盗賊が改心している。仏には宿命通力があるとも言われている。仏典にも占星術について書かれている。

 

今のひと時ひと時の自分の選択が人生を決める。農夫になりたい人は農夫のように行う。バラモンになりたい人はバラモンのように行う。そういうことでいいのではないか。

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