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方針変更

自分はこのブログでは、出生図をあまり出さないようにしてきた。それは、こんなにもわかってしまう、ということが土足で他人の人生に踏み込むということだからだ。そう、わかってもわからなくても、多分これが起こると思って興味深く他人の人生を見つめるということは、つまり何らかの形で他人の人生を覗くということになる。

その一方で、占星術のもっともわかりやすい理解は、自分の出生図の理解だということは言えると思う。

 

それで、今までの方針をある程度ひっくり返して、今後は、できるだけ失礼でない範囲で、有名人の出生図を見て行こうと思う。

前にASCがサインを移るときを取り上げたが、もう少し深く、どのサインにあるからどうなのか、その人の持つ主なアスペクトをASCやMCが刺激するとき、というのを取り上げよう。そうすれば、私がどういう基準で個人の方に占断をしているのか、もっとお分かりいただけるようになるだろう。

 

その人の出生図の中で形成されている主要なアスペクト、それに対して、進行するASCやMCが何かを作っている時に、必ずその出来事が起こる。その認識が広まれば、おのずと占星術に対する不当な評価は減ると思うのです。

 

でも、ちょっと待ってね。

2 thoughts on “方針変更

  1. ネコ

    ネコです。ご無沙汰しております。体調はヨレヨレながら生きています。
    そうですか、「方針変更」ですか。
    土足で他人の人生に踏み込む、それはある程度仕方の無いことだと思います。
    「興味本位」などばかりで他人の占断などとても出来ないのではないでしょうか。
    体力、気力、時間がかなり必要とされると思います。
    自分の出生図の理解、私も占断して頂き、それがどのような状況で進んでいくか、
    どのような人生が展開していくか、興味深いというか、大いなる者の世界を見るような気がいたします。
    ASCがサインを移る時、何かが起こる、、、。
    私は、それを待ち構えているようなき気がします。
    私が、そのASCがサインを移る「どつぼに居る」ことを視て頂きました。
    さあ、さあ、今年も半年を過ぎました。
    昨年11月から体調は今一つ良くなく、もはやこれまでかと思いながらも、忙しい日々を送っています。
    孫に振り回され、
    「三叉路の記事」でよほどコメントしようかと思ったのですが、
    やはり孫のところに行っていて、変則的三叉路で、
    記事に書かれているように、斜めに突っ込んで来た生コン車にあやうく正面衝突しそうになりました。
    孫を送って行った帰りで、孫を連れていなくて本当に良かったと思ったものでした。
    最近では、自分の眼鏡を自分でよろめいた弾みに踏みつけ、大破してしまった。
    さて、これからどうなるか、、。
    自分の人生はいいとしても、、、。
    この6月、ある古い友を何十年ぶりかで訪ねました。
    その友は、プロテスタントの聖職者です。
    その友は、まるで旧約聖書の「ヨブ記」のヨブのような人生を送っています。
    成人した一人息子を不慮の事故で亡くし、何かと一緒にやっていっていた兄弟の身内も事故で亡くし、
    またそのまた兄弟をも病気で亡くし、可愛がっていた姪は突然に若くして視力を喪失し、、。
    しかし、牧会は休むことはできない。
    私は、不謹慎にも思いました。(不謹慎ではないとは思いますが )この方の星はどうなっているのだろう。神に身を捧げ、献身者としての人生を送っている。神の試練であろうか?
    この世的には決して幸せと思えない人生を送っているように思うが、、。
    神に祝福された人生なのだろうか。
    その友は、静かな笑みを浮かべて私たち夫婦をもてなしてくれたのですが、、。 
    本当に、星はどうなっているのだろう。
    私の、星もこれからどうなるのだろうかと、すっかり開き直って、日々を送っています。
                              

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      ネコさん、こんにちわ。

      コメントありがとうございます。
      自分は、その方が聖職者になっているおかげで、彼の家系は救われていると信じたいです。
      自分のところでは「家から一人出家するとその家は栄える」と言われています。
      おそらくその視力を喪失されたり身内が早くに亡くなられたりというようなことは、彼が聖職につかなくても起こったでしょう。それでも彼が公に奉仕されていて、私は存じ上げませんが多分それなりに精進した生活を送っておられるのでしょうが、そうしたことは必ず彼の周囲の人にも良い影響をもたらしていると思います。

      それから、自分も以前は教会が占星術を禁止しているということで、占星術については若干の引け目がありました。
      しかし、やっと最近、そんなことを考えなくてもいいのだ、と思うようになりました。
      おそらくその方は、冥王星か何かが特殊な配置になっていて、自分の信念を貫くような星の配置になっているのだろうと思います。
      しかし、それが信仰と相容れないもの、何か対立するものだと考える必要はまったくありません。
      物理的な法則性、たとえば朝東から太陽が昇ってくるということは、誰にでも同じように起こります。そして、多くの人がそれに影響されて行動します。
      「6時に日の出ですから、多分あなたは朝起きるでしょう」と言っても多分誰も疑いません。それよりちょっと複雑だけれど、天体が地上の生命体に影響があったとしても何ら不思議はないのです。

      返信

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