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はだかの王様

先日こういう文章を見かけた

「この法華経は深智のために説く、浅識はこれを聞いて迷惑して悟らず、一切の声聞及辟支仏は、この経の中においては、力及ばざるなり」
(法華経 譬喩品)

文語体になっていますけど、ざっとした意味はわかりますよね。

「この法華経はとっても頭のいい人のために説きます。頭の悪い人は迷って理解できません。小乗の坊さんたちはとても理解できる力量はないでしょう。」みたいなことです。

そしてこの前後にはご丁寧に法華経を悪く言うやつはどういう地獄に落ちるとか、どういう悪い生まれ変わりをするとか、散々に脅してあります。

 

いや、自分はこの文章を一目見て思ったのですけど、これはハンス・クリスチャン・アンデルセンの「はだかの王様」と全く同じです。

「これは馬鹿者には見えない服なのでございます」

「これは馬鹿者には理解できない経典なのです」

どこが違う?ちょっと笑っちゃいましたよ。

この論法だと、「俺は人様から馬鹿だと思われたくない」と言う人は、必ず法華経をほめたたえるということになるんです。虚栄心の温床ですよ。

 

ちなみに、ほかの宗教と言うか、ほかの経典もそうかと言うと、違います。たとえば福音書でヨハネは主のなさったことをいちいち書けば世界の図書館もそれを納められないだろうと言いつつ、「これはあなた方のために書いているのだ」と強調しています。最高に難しいことはなかなか書けない、何もかも理解してくれとは言わない、これだけは理解してくれ、ということですよね。

パーリ語仏典も違います。「仏は種々の方法で真理を解き明かされた」なので、必ずお釈迦様は目の前の人にそれなりの納得を与えます。「あいつにはわからん」というようなことは決して仰いませんでした。

 

仏教の人たち、気の毒です。仏教のなにもかもダメだなんていうことはなかなか言えないでしょうよ。しかし、なんだかんだでそれなりの志を抱いて、仏の道に飛び込んで、最初に取り組むべき経典の中に「これは馬鹿者にはわからん経典だ・・・舌が須弥山を覆いました・・・」みたいなことで始めないといけないわけでしょ。

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