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信じなければいけない (2)

世の中の偉大な宗教達成者というものを押しなべて見ると、大体二つのタイプの人がいる。

 

片方は割と知的なことを訴える宗教者である。多くの場合、彼らは禁欲的・内省的である。たとえば仏教は、観音様を頼みますとか、阿弥陀さんを頼みますとか、そういう宗派もあるけれども、基本的な考え方として多くの場合、何かを望んではダメだ、欲望はダメです、考えてもダメです、座禅してあれもこれもダメです的な・・・専門家の先生からは叱られる解説かも知れませんが・・・そういう教えである。
「良寛さん、災難にあった時はどうしたらいいでしょうか」
「雨が降ったら雨に降られるがよかろう。風が吹いたら風に吹かれるがよかろう。それが難を逃れる方法なのだ。」的な考え方である。

 

もう一つは一見稚拙な信仰に見えるけど、何かを一生懸命信仰して大きな達成をする人である。
神様、仏様、お願い。なんとか病気治してください!「お前が不摂生だからだろう」とか、そういうツッコミはお構いなし。
キリスト自身もちょっとこういう感じの人に見える。嵐になりました。そこで欲望を抑えて嵐になっても心の平安を保てばよいではないか?と思うところだが、本人はそんなことはお構いなしで風を叱りつけて止めてしまったりする。腹が減ったからイチジクが食いたいが、木に実がなっていない。それで「欲望を沈めればいいではないか」と思うところだけど、けしからんから枯れろ!みたいなことを言ってしまう。

 

ちょっと不思議なところだが、この一件稚拙に見えても何かを一生懸命信仰する人は、往々にして目に見える奇蹟を行う。仏教徒が奇跡をおこなわないと言っているんじゃない。それはそれなりの達成があるということを自分は認めます。しかし、病気になった時に「何も永遠のものはない。形のあるものは必ず滅びるときがくる。」とかなんとか達観してしまうわけではなくて、「わがままかもしれんけど、お願い。マリアさん、助けて!」とか言って信じて頼む人が、実は不可思議な治癒を手に入れたりする。

 

キリストは、「あなた方が信じて疑わなければ、あの山に動いて海に入れと言ってもそうなるであろう」と言った。

しかし、一体何の力がそれを可能にしているだろう?そこには何らかの事実があるのは間違いないはずである。誰かはそれができるわけだ。しかし、ではあなたが「ふ~ん、そうなの?じゃ、ま、とりあえず信じて水の上を歩いてみましょう」ということはなかなかできるものではない。

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