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ギリシャ語を学ぶ

ギリシャ語に対する姿勢、ということでお褒めのコメントをいただいた。なぜギリシャ語なのか、いささかなりともご説明しておかないといけないような気がしてきた。

こんなことを言っても身もふたもないが、ギリシャ語会話ができたって、大した役には立たない。うん、東京でなら知らない。大使館だってあるし、ギリシャ専門のツアー会社もある。だが、この片田舎で何をするのか?ぴちぴちピッチなんか見て愛の言葉の一つも覚えても、ささやく相手がいるわけじゃないし。

 

自分は若いころ、自分は何でもやってやる、世界の謎はみんな自分が見つける、みたいな突拍子ところがあったのだろうと思う。外国語なんか、いくらでも話せて当たり前、今はできなくても・・・みたいに思っていた。
なぜギリシャに?古代エジプトの言語は今は話されていない。いろいろな意味で、ギリシャは昔の世界の入り口のように思われた。
それで、最初古典語のテキストを上げて、リンガフォンの英語版で現代ギリシャ語を学んだあと、ギリシャに一人行った。怖いもの知らずだったのだろうと思う。しかし、それも滞在したのは半年ぽっきりで、国立の学校は入れなかったので所謂塾のようなところに行ったり、一人で這いまわっただけだ。

その学んだギリシャ語は結局何も仕事の上で生かすことはなかった。旅行会社では毎年自分の能力だとか適性だとか配属希望などを書かされて、自分は毎年ギリシャ語ができると書いたのだけれど、結局アテネオリンピックで大量に日本人がギリシャに行くときも、何一つ自分は顧みられることはなかった。いろいろあったけど、それも会社を辞めようと思った原因だった。

 

それでも、何でギリシャ語がいいのか、と思われるだろうと思う。

 

みんな、英語を勉強する。ある人は中国語だったり、フランス語だったりする。少なくとも入門時点においてそれらの言葉は「数ある言語のうちの一つ」であり、日本語で言えることを当然のように英語やフランス語で言えるということが大事だ。そしてギリシャという国は小さくて人口も少なく経済的重要性も低い。

だけど、自分にとってギリシャ語は何か違う意味を持つ。

ちょうど日本人にとって巨大な隣人である中国と、思想の源流であるインドが巨大な文化であるように、西洋人にとってギリシャやオリエントというものはそういうものなのです。そしてさらに厄介なことは、ギリシャは共産主義国にもならなかったしイスラムにもならなかった。彼らは2000年のキリスト教、それ以前のヘレニズム、そうしたものの文化的な後継者なのです。ギリシャには中国やロシアであったような王朝の交代や革命というものはなかった。ローマ帝国が滅ぶと直ちにトルコの支配下にはいり、苦難の末守り抜いてきた正教とともに独立した、という歴史しかないから、途中で進路変更したという感覚は多分彼らの中にはない。

つまり、彼らの中では2000年前世界を席巻した共通語のギリシャ語の文化、最高の精神性を、自分たちはそのまま受け継いでいるのだ、という感覚なのだと思う。

もしギリシャ語ができない単なる外国人としてギリシャに行ったら、あなたは客人として迎えられるだろう。しかし、ある程度ギリシャ語を学び教会とか文化の中心的な部分にまっすぐ切り込もうとしたら?そこにあるものは巨大なものだったし、彼らとの間の文化的・思想的な隔たりというのはとてつもなく大きなものだった。
そして、彼ら自身、そうしたものについて優越感を常に持っていた。言葉を交わせば、相手は自分を納得させようと必死で弁じてくるのだった。
当時の自分にとっては大きなショックで、混乱したのです。混乱し、自分の内で消化できないまま、帰国した。そして、そのままになってしまった。

 

今もう一度ギリシャで暮らせるチャンスがあるか・・・わからない。ないかもしれない。
でも、いいんですよ。この言語の独特の香りみたいなものが、今となっては自分はとても愛せる。
多分、若いころ消化できなかった色々なことも自分の中で徐々に心に根を下ろしてきていると思うし。
ギリシャ語を勉強するということは、自分が知ってる範囲では、他の言語を学ぶのとはちょっと違うんです。

今でも時々思うのだが、このようにギリシャ語を勉強したところで、いざギリシャ人達と会ったときには、ぶつかったり喧嘩したりするかもしれない。だけどいいんです。やれるところまでやればいい。

ギリシャ語を学ぶ」への4件のフィードバック

  1. あめ

    若い頃、村上春樹の紀行文「雨天炎天」を読み、アトスの修道院に泊まる様子を読み、厳粛さ厳しさ真面目さ頑固さ、を感じました。
    一般のギリシャとは違うのかもしれないけど、他と違う文化、の香りみたいなのは漂ってくる本で、いまだに気に入っていてたまに読みます。

    アトスのどの修道院でも出てきたウゾーとルクミを味わってみたいけど、あれはどうやらしっかり歩きとおさないと美味しくなさそうだな、とかくだらない感想しかなかったのですが、厳しい聖地の修行の様子には少し憧れました。若い私はなんとなく人生に疲れていて、出家したいな、とか、早く老人になって人生を振り返る余生を送りたいとか、不思議な事を考えていたので。

    なんか、ちょっと違うコメントですみません^^;

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      あめさん、こんにちわ。

      自分は村上さんの紀行文を読んだりはしていませんが、あめさんからアトスの話が出てくると思いませんでした。
      多分私がアトスにいたのは、村上氏が訪問するのより3年ぐらい前なのだと思う。

      アトスはまさにそういう場所です。
      自分はアトスに行ったときに、かなりの祈祷文を聞いてわかるぐらいになっていたし、修道士とも普通にギリシャ語で会話していました。
      お昼の間は、レモンの整理をさせられたり、薪割をさせられたりしましたよ。
      普通の教会で行われる聖体礼儀はあらかた暗唱できるぐらいになっていたし、あれが日本の祈祷のこの歌に対応しているんだろうとか、その見当も大方ついていました。
      そういうことってあんまりないと思うんです。

      本当は、そういう場所に行ったときに、東洋的な文化の知識もある程度あって、現地の言葉もしゃべることができ・・・などという状況はなかなかないものだと思うのです。ただ行っただけでも強烈な印象を受けるでしょう。しかし、自分は修道院長に告白するのもギリシャ語でしたし、からかわれるのもギリシャ語でからかわれました。

      返信
      1. あめ

        え?アトスにいらしたんですか?それはスゴい!あの紀行文読むとその凄さがわかります。

        女性はメス猫ですら入れない土地なので現実に訪れることは私は不可能なので脳内イメージでしか体験できませんが、それにしてもスゴいなぁ。  

        そして東洋人がギリシャ語で、アトスの修道院で生活。驚きました!

        コーヒーは、やはり相当甘いのですか?
        甘いコーヒーに甘いルクミを食べるのが疲れた身体に染み渡る、的なことが書いてあったような記憶が。

        レモンの搾り汁も死ぬほど美味いと書いてあったかも。

        門限になれば絶対に、びくともしない門、とか、現代なのか?的なストイックさ、修行中の僧侶というのはそうでなくては!と思いました。
        また久々に読んでみたくなりました。

        返信
        1. simpledirect 投稿作成者

          あめさん、

          そうですね。いやまあ・・・その話はまた別の時にしましょう。というか、当時消化できなかったことも記事にはいろいろ書くようにはしていますし。
          自分は結局滞在できる一週間ほどの期間のほとんどをフィロセウで過ごしました。そこは朝の1時から明け方まで祈祷があり、午前中は作務みたいなことをして、特に昼食はなく、午後2時から5時ぐらいまでまた祈祷があり、夜には何百回数珠を繰って祈りなさいとか、まあそういう感じの世界で、自分はある意味客人ではなく・・・一応ニコライ堂の洗礼証明書を持って行っていましたし・・・だいぶ頑張ってそこにいさせてもらったのです。コーヒーは確かに甘いですが、ギリシャにいる間は郷に入れば郷に従えであたり前にギリシャコーヒーを飲んでいたので、敢えてどうこうということは思ったことはないです。
          疲れるとか、その場ではあんまり自分は問題ではなかったのです。
          食事の違いを感じたのは、自分は船に乗るのに干しブドウを持って入っておやつにしていたのですが、ギリシャ人は修道士も含めてチーズを持って行ったことですかね。ブドウは生のブドウが十分おいしいので、彼らの頭の中では干しブドウは普通にぼりぼり食べるものではないようなのです。

          返信

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