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「こころ」と「たましい」 (1)

日本語で「たましい」というのは、一般的に使われる言葉ではないと思う。たぶん人がなくなって初めて「たましい」という言葉が使われる。個人の何かで死後も残るもの、という漠然としたコンセンサスはあるものの、生きた人間について「たましい」という言葉が使われることはあまりない。

教会では、晩祷の最初に神の創造の業を讃えて、聖王ダヴィドの聖詠103番(カトリック・プロテスタントの詩編104番)が読まれ、あるいは歌われる。

わがたましいよ、主をほめあげよ。
主我が神よ、なんじは至りて大なり。
なんじは光栄と威厳とを被れり。
なんじは光をころもの如くにき、天をまくの如くに張る、水の上になんじの宮を立て雲を何時の車となし、風の翼にて行く・・・・(以下略)

それで、「私のたましいよ」と言ってはいるものの、その「たましい」ってのは、じゃあ、なんなの?というのが一般的な会話の中では日本語であまり使われることはないと思う。

この聖詠の七十人訳は

Εὐλόγειq, ἡ ψυχή μου, τὸν Κύριον. (エヴローギ イ・プシヒー・ム、トンギリオン)
Κύριε ὀ θεός μου, ἐμεγαλύνθης σφόδρα… (キリエ・オ・セオーズム、エメガンシス・スフォドラ…)

となっている。しかし、このψυχή(プシヒー、古典語期の発音ではプシュケー)という単語はよく使われる単語なのです。

 

今話題によく上げているぴちぴちピッチだが、これでもセリフの中とか歌の歌詞とかのなかにも結構プシヒーという単語は出てくる。

ひとつよくわかる箇所がある。第二期の「ぴちぴちピッチ ピュア」の中では、新しく生まれたインド洋のマーメード・プリンセスの星羅さんというのがいて、ところが生まれた早々敵役の翼の生えたキャラクターのミケルというやつに「ココロのかけら」だか「ハートのかけら」だか何だかを奪い取られてしまう。るちあさんたちがこのミケルと戦って、ちょっと勝利をおさめるごとに、ミケルの羽根がひらひらと舞い降りてきて、その羽根にくっついた「ハートのかけら」を集めると、だんだん奪い取られた星羅さんがよみがえってくるみたいな進行をしている。

それで、この第二期の番組の初めに、るちあさんが夜一人で起きていて、星羅さんが沈黙の幻で現れて、必ずこの「必ずオレンジのハートのかけらを取り返してあげる」とるちあさんが決意する場面が挿入されている。

このときに、ギリシャ語ではるちあさんはθα μαζέψω όλα τα κομμάτια της ψυχής σου(サ・マゼプソー・オラ・タ・コマーティア・ティス・プシヒース・ス あなたのたましいのすべてのかけらを集めてみせる)というのです。

つまり、ギリシャ人は、こころの実体、あなたの実体というものを「たましい」だ、と考えているわけです。

それで日本人の場合、そういうもののこと、その人の実体、その人の思惟をつかさどるものをとても広い意味で「こころ」と呼んでいる。(続く)

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