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天国 (3)

そうすると、天国と言うものはこういうものだということになる。前回と同じ絵ですけど・・・

  1. 我々は、なにか、神様、主、人の子、ご主人様か誰かから預かってるものがある。
  2. その預かっているものは、ちゃんと増やすとか大きく育てるとかしないといけない。
  3. しかも、それはいつの間にか増えていたり、成長したりしているものである。
  4. その増えていくものはあるいは灯がともる。あるいは実がなる。
  5. そうするとご主人様が帰ってきて、その実を収穫したりして、僕にはもっといいものをくれる。
  6. しかし、いつ主人が帰ってくるかわからないから、私たちは目を覚ましていなければならない。多分、この「目を覚ます」と言うことに対して、このタラントだか油だか何かは関係している。天国に関してキリストが譬えを言うとき、きっと彼は「目を覚ましていろ」という。

検索サイトで「天国」して画像検索をすると、大抵空に雲があって光が差しているいる絵が出る。なんで?もし福音書を読んで「天国の絵を描いて!」と誰かに頼めば、実のなる木の絵を描くか、麦畑を描くか、羊を描くか、働いてる金儲けをしている人を描くか、なんかすればいいと思うけれども、そういう絵は一つも出てこない。

 

ここまで調べてくると、2つの要素が思い出されると思う。一つは「実がなる」という表現であり、もう一つは「貯める」とか「稼ぐ」と言うことに関する福音書の教えである。

実がなる、という表現はキリストが来る前にヨハネが人々を警告するために使った言葉であり、最後の晩餐の時に、キリストが弟子に自分とのつながりを保つように言った部分で強調されている事柄である。いわば福音書の肝の部分だ。

 

一方で稼ぐ、貯めるに関する教えは、福音書に独特の特徴を持っている。つまり、それはこの世で貯めても仕方がないよ、天にためなきゃ、という考え方である。

にもかかわらず、この油をキープする、タラントを稼ぐ、麦が育って豊かに収穫がある、という譬えと、天に宝を貯めるということをあまり結びつけて考えた人がいないように思う。

自分にはそれは、とても具体的なあることを言っているように思える。ほかの宗教をやっている人々、とりわけ修行している人々が、のどから手が出るほど欲しい何かだ。こういう言い方は正確ではないが、現代の言葉でいえば心理学的な単純な事実だ。

聖書は、難しい概念を語るために、難しい言葉を用意しなかった。仏教やインド人は難しい概念を表現するために割と小難しい言葉を用意した。おそらく成熟した社会だったのだろう。そしてフロイト以降の現代心理学のようなものもそうだ。コンプレックスがどうだとかリビドーだどうだとか、大学と言うような特定の教育機関での勉強、論文風に描かれたテキストと言うようなものを前提している。

しかし、キリスト教の中の文化ではそういうものは譬えを通じ平易なもので言い換えられている。梁がどうした、闇がどうした、羊がどうしたといった具合である。

天国の譬えの中で言われている一つ一つのことは、日常生活では起こらない、ちょっと飛んだことではあるが、だからと言って全く知りえないことではなく、まさにそうした小難しい概念を書いているように思える。

ま、いいだろう。先に進めましょう。

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