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聖なる神

このことを書いても誰もわからないかもしれないが、書かなければ誰も知らないことになってしまう。

 

正教会には「聖なる神 聖なる勇毅(ゆうき) 聖なる常生のものや、我らを憐れめよ」という祈祷があって、毎度の祈祷の際には必ず唱えられる句である。また聖体礼儀中の大聖入の部分で歌われる聖歌としても知られている。しかし、多分聖書などにその起源を求めることはできないだろうと思う。とりわけプロテスタントの皆さんには、訳の分からない祈祷、おそらく「どこかの異端からくすねてきた排除すべき祈祷文」だと思われているのかもしれない。しかし、残念ながらキリスト教が歴史に出てきてからずっとこの祈祷は存在しているのである。

 

この祈祷については最初に知ったのは、教会に行く前の話で、ウスペンスキーの「奇蹟を求めて」に書いてあったからだった。

そのときは「聖なる神よ、聖なる固きものよ、聖なる不死なるものよ。」というような表現が為されていた。グルジェフはこの祈祷はキリスト教のはるか以前から続いているものだと言っている。

 

ギリシャ語の祈祷文は

ἅγιος ὁ θεός, ἅγιος ἰσχυρός, ἅγιος ἀθάνατος, ἐλέησον ἡμᾶς.(アギオス・オ・セオス、アギオス・イスヒロス、アギオス・アサナトス、エレイソン・イマス)

でスラブ語では

СВЯТЫЙ БОЖЕ, СВЯТЫЙ КРЕПКИЙ, СВЯТЫЙ БЕЗСМЕРТНЫЙ, ПОМИЛУЙ НАС.(スヴェヤトィイ・ボージェ、スヴェヤトィイ・クレプキィ、スヴェヤトィイ・ベスメルトヌィイ、ポミルィ・ナス)

になっている。

ギリシャ語で神θεόςの前にだけ定冠詞のὁが入っているのは、それが結局一つの神のことを表しているという意味合いがある。また神は聖だという文章と考えることもできる。スラブ語や日本語ではそのニュアンスは表現できていないかもしれない。

イスヒロスἰσχυρόςは強いという意味である。これは固いという意味もあるかもしれないが、戦って強いとか力強いとか、幅広く一般的に強いということでつかわれた言葉である。それに対して、КРЕПКИЙクレプキィは堅牢なという意味がある。ウスペンスキーの著作の訳が「固い」と訳されたのはここから来たのだろう。ἀθάνατοςアサナトス、БЕЗСМЕРТНЫЙベスメルトヌィイは、いずれも死を否定する接頭辞のついた言葉で、文字通り不死のことである。

 

正直なところ、日本語の訳は違いすぎると思うのだ。その言葉を聞いた時に、元の単語の意味合いが伝わらないと思う。確かに勇毅というのは、勇ましく強いということを言っているのだと思う。死なないから常生だというのも理屈はわからないではない。

 

しかし、正教会のこうした一見起源のよくわからない祈祷が、実は重要な思想を表現しているということはままあることである。

そして、本当の起源がどの言語にあるのか私はわからないけれども、ギリシャ語のニュアンスを日本語に訳しきれないということもよくあることなのだ。もっと近い、直接的な意味合いの単語に訳しておくべきだったのではないかと思う。

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