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表現の自由

フランスで風刺画を乗せる新聞社に対する銃の乱射事件が起こったが、これだけではなくて表現の自由を問うニュースがいくつか続いた。

一つは、北朝鮮の金正恩第一書記暗殺の映画がアメリカで作成され、北朝鮮が反発し上映が中止され、また作成した映画会社に対してサイバー攻撃があった件。
もう一つは、これは小さなニュースだったのだけれど、コメディアンの爆笑問題さんが、政治家のネタをしようとするとNHKがことごとくNGを出したというのが報じられていた。

 

北朝鮮の金正恩の侮辱映画については、たとえば銃乱射のようなテロ行為が起こって多数の人が亡くなったというような事実はない。しかし、ある一定の国なり宗教なりで最も大切であると思われているものをよその人が侮辱したという点で似た構図がある。

一方で爆笑問題のニュースはその反対のようにも思われる。規制した、ということなのですから。

 

自分としては、結局表現の自由ということは、それぞれの価値観の尊重というところから出てきていると思うのです。北朝鮮は国である。その国の国民として、社会主義体制で金正恩第一書記をトップに据えたそういう国を彼らは選択した。外部から見た時に、うちの国民を拉致してもらっちゃ困るということはもちろん言うべきである。しかし、それは北朝鮮という国を認めればこそである。彼らの選択は尊重されるべきであり、外部の人間が安易にその価値を否定してはいけないのではないか。

宗教の自由というのがヨーロッパで初めて認められたのはフランスのナポレオン法典である。イスラムの人がフランスに居住したとして、他のほとんどの人々がキリスト教という中で少数派のイスラムという考え方を禁じない。違う考えだけれど認め合おう。それが宗教の自由である。

それまではカトリックがヨーロッパの中で絶対的な力を持っていた。そこで、カトリックが「地球は動いていない。太陽が地球の周りをまわっているだけだ。」と言えば、それに反して「いや、太陽が地球を回っているのだ」と主張する人は社会的制裁を受け、場合によっては火あぶりに処せられた。そこで、「たとえ、カトリックが天動説を唱えていようと、地動説を唱えてもいいよ。」というのが表現の自由である。しかし、その場合でも、イエスキリストにしょんべんをひっかけるような絵が描かれたわけではなかった。お互いの価値観は尊重しましょう、ということだから。

 

そう考えると、自分はこの風刺画を掲載した新聞社や金正恩第一書記を揶揄した映画会社を擁護するアメリカの立場が無条件に正しいようには思えない。結局は強い国が弱い国を馬鹿にしているだけではないか?

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