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恐れ

神ということを知ることによって、私たちの世界は全く違うものになる。同じ経験をするかもしれないが、その経験に与えられる説明が異なるために、そこから紡ぎだされる全体像というものが、通常の日常生活の中のものとはまるで違うものになってしまうのだ。

 

そうではあるが。

その説明は全く目新しいもので、新しい可能性を開くものではある。そうではあるが。

 

結局のところ、たとえば永遠の生というようなものが、「3000年生きています」という形で実証されるされるためには3000年死なないようにしないといけないわけで、通常それは無理だ。

こういう神通力が得られます、信仰の力によって病気が治ります、死者がよみがえります、なんと素晴らしい!というわけだが、それでも3000年生きました、という証のある人は誰もいない。・・・いや、いるという話はあるが、いずれ手元に証左はない。

 

本当は、あらゆる行動を恐れが紡ぎだしている。嫉妬や憎しみのようなものも、結局そこに執着があって、自分が何かそれを大事だと思うことがあるからこそ、憎しみになる。逆に、ポジティブな企て、祈りをします、ヨガを行います、夢見をします、というような、あらゆる意図が、この瞬間の小さな恐れから来ている。

建設的なあらゆる企て、不屈の努力というものは、称えられるべきであり、良い結果を普通はもたらす。それは間違いない。しかし、「良い」とは何が良いのか?仮にそうであったとしても、そのそもそもの動機はやはり恐れなのではないか。

 

もし仮に、50なら50で死んでもいい、俺もどうせ死ぬのだから・・・と割り切って考えてしまうことができれば、多分こんな楽なことはないし、そういう場合にだけ永遠というのは我々の人生の中に姿を現すことができる。

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