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物語の悪

先日来報道されている高一同級生殺害事件。今回の事件が他の事件と違うことは、加害者の少女が一見完全な悪に見えることだ。

この人は父を金属バットで殴り、友人の給食に劇薬を混ぜ、猫を解剖し、人を殺したいと公言して実際に殺して、それを恥ずかしいこととして隠すでもなく、ばれるままにした。

 

普通は物語の中ででもなければ、完全な悪というものは存在しない。しかし、存在しないのであればなぜ物語の中には悪が出現しているのか。

物語であれ小説であれ映画であれ、所詮は人の想像の世界に過ぎない。想像の世界がリアルな世界以上に神秘に満ち溢れているということはない。しかし物語は単純化された形で大事な何かを訴えかける。そこには重要な動機、モチーフというものがあり、それは何かの気持ちに基づいている。

物語の中では、よく悪の力にとらわれて普通ではなくなった人々が出てくる。ある人は眠りに落ちて覚めることができない。ある人は何かの動物に姿を変えられてしまう。ある場合には主人公に関係ある人物が石になってしまったりする。またある場合には魔女の宮殿に閉じ込められてしまったりするのである。

これらの人々は、物語の中では被害者だったりヒーロー・ヒロインだったりするが、通常の視点からは理解しがたい人々である。物語の中には種明かしがあるから楽しく読んでいるものの、もし本当に熊やカエルが目の前に現れれば、普通はそれは王子様やお姫様ではなくて、駆除するか追っ払うかするような類のものである。これらの人々そのものが悪の姿を取っていると言える。

 

しかし、こうした状況になったのは、何か悪い魔の力にとらわれているからだ。そしてそれが全く荒唐無稽な魔の力なのかというとそうではなくて、それはある場合には嫉妬であり、ある場合には虚栄心であり、何か現実の出来事でもあるような内容だ。

 

実は物語の中には、真実の感情的事情が織り込まれていて、それは実際の人生と全く無関係であるというわけではないと思う。それは多くの場合親に関係している。

子供の場合身近で権力を持つ大人、つまり親が「こうだぞ」ということは絶対に服従すべきものである。もし仮にそれが子供にとって正しくないことであったとしても、親に対してそれを表現することは通常できず、それは何らかの形で置き換わる。憎むべき対象を、たとえば虫や動物のような別のものに振り向けるか、自分自身を憎んでたとえばリストカットをするというようなことになる。そういうことが起こった場合、その人に小心だったり乱暴だったりという性格が認められるのかもしれないが、その人自身が悪だということではない。

 

今回の事件も、この人が物語の「魔にとらわれた人」と考えると、一応のコンテキストが説明できると思う。それは法律の理屈とか、表向きの事件とはまた違う、魔にとらわれるプロセスとか原因とかいうのがあるはずだと私は思う。

誰かがこの人自身を認めて、愛してあげて、受け止めてあげることによって、この人は変われると私は思う。

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