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キリスト教

ネット上、あるいは実生活で、いろいろな方とキリスト教について話をする機会があったりします。

もちろん、キリスト教は大きな宗教・大きな文化・大きな思想であって、人によってさまざまな受け止められ方をしていると思う。

自分は旅行会社にいるときに、演奏旅行を手配したことがあるのだが、プロの歌手の人が初めて実際のミサでミサ曲が歌われる場に参加しての感想を述べておられるのを聞く機会があった。自分にとっては、ある意味当たり前のことが音楽をされている皆さんにどのように受け止められたのかを聞いて、改めて自分はいい仕事をしたのかもしれない、と思った。

 

日本では多くの人がキリスト教=聖書みたいな受け入れをしていると思う。自分の場合も、ご多聞に漏れず小学生・中学生の時代に聖書物語や聖書協会訳の聖書を読むことがスタートと言えばスタートだった。

だが、その後ギリシャ正教にいって、実際にギリシャに行き、修道院も訪ねる機会があった。そこではその文化の巨大さに圧倒された。「聖書のみ」と今のプロテスタントさんは仰るだろうけれども、実際にその聖書を記して書き写して現在まで伝えてきたのはこの人たちだった。その人たちは昼夜決まった祈祷をし、聖母に叩拝し、十字架に接吻し、ご聖体を受けている。

 

更に仕事でさまざまなところに行く機会に恵まれた。ローマ。法王庁もありカタコンベもある。アッシジ。ミラノのドゥオモにはアンブロシウスの遺体がある。ローテンブルグ。直接は見ていないが、そこには魔女狩りでつかわれた拷問器具の展示がある。アヴィニョン。昔の法王庁の建物がある。なぜこんなところにこんな巨大な建物があるのか、カトリックには何があったのか?カルカソンヌ。アルビ十字軍の戦場になった場所だ。ケルンとバルセロナ。大聖堂が数百年にわたって建造され、またされつつある。北欧には地元の文化と融合した木造の教会がある。

そうした中で、自分は自分として、キリスト教の所謂伝えたかったことに対しての、自分自身のアプローチというものは、それはそれで当然ある。

 

それでも、もっとわかっている人は当然もっとわかっていると思うのだ。ギリシャ語についてはある程度勉強して、会話もするし聖書や祈祷もある程度わかるが、四六時中ギリシャ語に浸っているわけではない。母語にしている人は、我々にない理解を持つ機会もあるだろう。またヘブライ語や他の言語の教養のある方も当然おられるだろう。またエルサレムやガリラヤなどには行っていない。

それでも、とても幸運だったと思う。なんとなく他の方と話をしても、必ずしも、同じことを理解していないだろうと思う。

何かのことをよく知っているということは、とても大事なことだ。レストランで出てくるハンバーグがおいしいというのは、そんなに難しいことではない。だがどの牛をどんなエサで育てたのか、どこで買ってくるのか、どういう下ごしらえをするからどうなるのか、さまざまなことが必要だ。キリスト教も私たちの目の前に提供される前に、幾多の人々の手を経てきている。

2 thoughts on “キリスト教

  1. ネコ

    こんにちは、
    キリスト教にどのようにしてふれていったか、本当に人それぞれですね。
    キリスト教=聖書という受け入れですか、そうですね。
    私の場合は、音楽から入りました。
    最初にキリスト教に接したのは、中学生の時で、
    初めて行った教会の伝道集会で唄われていた聖歌隊の讃美歌を聴いて
    初めて聞いた讃美歌のその美しさに感動し、のめり込んでいきました。
    そこで、、
    「プロの歌手の方が、初めて実際のミサでミサ曲が歌われる場に参加しての感想を述べておられるのを聞く機会があった、、」
    ここなんですが、どのようなご感想であったのでしょうか?
    よろしければ聴かせて下さい。
    そこそこの年齢の方々が、初めて実際のミサでミサ曲にふれた場合、
    どのように思われるのか、大変、気を魅かれます。
    私は、10代からどっぷり漬かりましたので、、、。
    年齢がいってからキリスト教にふれた方は、どう思われるのだろうか等とも思います。
    よろしくお願いいたします。

    返信
    1. simpledirect 投稿作成者

      このツアーは何年も前のことなのですが、一人の指揮者の先生が指導する合唱団の記念旅行でした。4人のソロのうち、一人はこの先生に近しいアルトの歌手が参加されました。また、ボイストレーナーでまた実際に団員に交じって歌われたソプラノの歌手の方がおいでになりました。当時はこの先生もまだ若く、旅行会社の人間であった私も気軽にお話をしました。
      この時はハイドンの曲だったのですが、ハイドンやモーツアルトといった有名な作曲家が有名なミサ曲を作曲しているということに付いて、私は無知でした。小中学校でミサ曲は習いませんもの。
      しかし、この先生はコンサートではたとえばモーツアルトの戴冠ミサのアーニュス・デイのソロパートを歌われるような方なのです。

      近年この指揮の先生がお亡くなりになりました。追悼コンサートがあって、私はいけなかったのですが、そのCDを頂戴しました。そのCDの中で、この先生も招待されて歌を披露し、思い出の話をされました。
      歌からスタートされているので、実際にそれぞれの曲がどの部分でどのように歌われるのか、その場でこの歌手の方は初めて体験されたということ。たとえばアーニュスデイのところでざわざわと騒がしくなって、実際には信者さんがご聖体を受けに行かれるわけですが、そういう場面でこれが歌われるということ。なぜアーニュスデイがミサ曲全体の中でゆったりとした名曲が多いのか。そういうことに対する気づきをお話になっておられました。
      私はどこまで自分の知っていることをお話ししたかは覚えていません。パーテルノステルでは立たないといけないというようなことは、札を作って団員の方にサインを出したりはしました。

      返信

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