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お前は見たので信じたのか?

長い斎の期間が終了し、復活祭・光明週間だ。鈍感な話だけれど、今頃になって、イエスがトマスに言われた「お前は見たので信じたのか?見ないで信じる者は幸いである」という話の重要性が感じられるようになった。

 

他にもイエスはそういうことをすごく話題にしておられる。

 

一つは「邪悪で不義な時代はしるしを求める」という言葉だ。この「しるし」は、確かにしるしには違いないが、今の言葉でいえば、「証拠」ということだろうと思う。

もう一つは、富豪が死んだ話である。富豪が死んで地獄で苦しい目にあっていて、ふと眼を挙げると戸口で苦しい思いをしていたラザロがアブラハムの懐に抱かれている。自分の弟がこんな苦しい目に遭わなくても済むようにラザロを遣わしてやってくれとアブラハムに頼むと、アブラハムは「彼らには預言者と律法があるじゃないか」と断ろうとする。金持ちが追いすがって、「いえいえ、死んだ者がよみがえれば、彼らは悔い改めるだろう」というとアブラハムは「もしモーゼと預言者に耳を傾けないなら、死人から蘇るものがあってもその勧めを受け入れることはないであろう」と答えた、というものだ。

 

信じがたい多くの事柄というのは、実は通常以上に証拠がある場合が多いと思う。本当に欠けているのは、それを説明できる考え方や理論や洞察力のほうだ。

 

自分も特に詳しいわけじゃないから良いたとえではないかもしれないけど、たとえばビッグフットのパターソンフィルムのようなものを考えてみる。ビッグフットというのはUMAでちょうどヒマラヤの雪男のようなものなのだけれど、北アメリカで目撃証言があったり、毛や足跡などが見つかったといわれているものだ。しかし、8mmフィルムを1960年代にパターソンという人が撮影しているのである。と、たとえば生きたダイオウイカが撮影されたのがつい最近であることを考えると、1960年代にビッグフットの8mm映像が撮られたということは第一級の証拠がある、と言っていいと思う。そして、周りの人はあれは嘘だったとか着ぐるみだったとかさまざまに証言しているが、自分が知っている限り、モスクワの科学アカデミーだとかナショナルジオグラフィックなどの科学関係団体はこれが未知の生物である可能性が高いと判断している。

フィルムが記録されて、目撃者がいて、科学団体も肯定的な見解を述べている。にもかかわらず、UMAなのだ。

 

自分は幽霊というものがいるのかいないのか、そもそも幽霊とはなんなのか、ちゃんとわかるようなことは何もない。しかし、科学的な調査ではないが、雑誌だの携帯電話会社だのが興味本位のアンケート取ると、必ず1割から3割の人が見たことがあると答える。一方でそういうものが見えるというのはただの幻覚だ、という人がいる。しかし、どうもインターネットで見られるような医学的なデータで、人間の1割~3割の人が常に幻覚を見るような疾病にかかっているというような調査結果はないように思える。そういう調査はもう一ケタ小さい数字しか示してくれない。

 

別に幽霊やビッグフットを信じなさいといいたいのではない。

しかし、大概の信じていいのかどうかわからないような事柄というものは、十分な証拠があるのだ。信じるかどうかというのは証拠があるかどうかとは全く関係ない。あるいは証拠だけではなく、説明とか考え方とかも手に入れたいと思えば実はすでに手の届くところにいろいろなものがある。モーゼを読んで「なるほど」と思えなければ、杖をふって海を分けても信じられはしないだろう。

 

私たちが欠いているのは、証拠ではなく何か別のこと。熱心さ。憧れ。平静さ。希望。優しさ。穏やかさ。何か別のことだ。

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