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占星術は思考

占星術で学ぶべきものは、ものすごく複雑なものになってはいけないと思うと前から言ってきた。

占星術というのは、私にとって何かというのを、考える。

占星術は、明らかに思考である。火星がおひつじ座にありますよ、火星が金星と合ですよ、だ・か・ら、こうなります!思考だということは、経験によって確認される一定の手順だということだ。

もし占星術が、人生で一定の思考パターンを持つだけのことであるなら、それは日常生活の煩雑なあれこれと何ら違うものではない。そしてそれが複雑怪奇な手順になっていくとしたら、それは好ましいことではない。
誰かが昔知らざる手段で考え出した未知の手順。その手順に従いさえすれば、お前の死期さえわかる!
それ、おかしくない?

その「未知の手順」は私の人生の中で知ることができないものなのか。なぜそうすると当たるのか。

 

運命がすべて占星術によって決定していて、それを複雑な手順を学びさえすれば、次の瞬間コップに注ぐものか煎茶か番茶かわかるはず!それ、わかるかもしれないけど、でも、その考え方は何かおかしい。それに費やす思考が、人生を凌駕している情報量を持っていると信じてしまうということが、おかしいのだ。

それは考え方としていけないと思うんです。

占星術は単純なシンボルを示し、精神はただ単に神に対して開くためだけにある。その単純なシンボルは、天国にかける梯子であるべきだ。お前はただ単に、思考を越えたものを見るだけ。思考の捕らわれから逃れること。意志すること。意識すること。

そのためには、その手順というものは単純な法則性、シンボルに帰していくべきものだと思う。

 

そして、私が神に開くために必要なことは、実際には詳しくそれを分析すること、当てること、知っちゃいけないことを知ることだ。逆説的だが。

基本この原則でいいと思う。今後誰かが「もしお前がこの方法を学べば、もっとお前は占い師として成功するだろう」と言ってくることがあるかもしれない。それでも、それが複雑な手段の習得であるだけなら、多分それは袋小路に陥ることになるだろう。

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