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啓示

キリスト教、ユダヤ教、イスラム教は啓示の宗教と言われる。神が人がなかなか知ることのない隠れた出来事を教えた、それが元になっているというわけだ。

 

しかし、私にはこう見える。一般的にキリスト教で言われる啓示というのは、どこの誰だか知らない人がなぜか真理を知っていて、それを無条件に受け入れることだ、と。そして、それを受け入れなければならない背景というのは恐怖なのだ。

それは良くないと思う。結局そうすることは、外部に権威を作ってしまうことになる。ややこしい言い方になるが神を前提してしまってはいけないのだ。

 

だからと言って、啓示が経験であるというのも間違いだ。体験、経験ではない。それは体験、経験かもしれない。しかし、蓄えるようなもの、記憶するようなものではない。

「私は神を見たのだ!」だからなんなの?

神は見ることができない。神は体験することができない。知ることができない。神を見たなどということはおろかなことだ。

にも拘らず、神はとてもはっきりしている。

 

啓示というのは、目の前の当たり前のことが当たり前に現れることだ。神秘、隠れたこと(mystery)というのは、今目の前にあることがそのまま秘密だ。

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